見るべきもの、見たいものが多すぎる。
ブレイキングバッドを見始めたしシュタインズ・ゲートの4週目に入っている。つい3日ほど前ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンを劇場版含めすべて見終わった。ほかにも見たいアニメ・ドラマ・映画が山ほどある。
ただしこれは僕にとって、余暇というか余った時間に見るべき、優先順位の低いコンテンツであります。
見たい動画よりも読みたい本が多すぎる。
僕はあまりミステリーを読まないんだけど、最近けっこう興味が湧いてきている。これまでに好きで読んでいたのは江戸川乱歩や横溝正史の作品と、現代で言えば島田荘司や森博嗣くらい。
これらの作家の作品を読み返したいのに加え、最近は道尾秀介や湊かなえや東野圭吾や伊坂幸太郎や宮部みゆきや、あと浅倉秋成も読んでみたい。今まで触れても一作、二作だったこういった作家の作品ももっとちゃんと読んでみたいと思うようになった。
今読んでいるのはアンソニー・ホロヴィッツの『メインテーマは殺人』。
そう、海外の作品もあるのだった。時間が足りない。
アホなことに何か一つ読んでいたり見ていたりする端からまた別の読みたい、見たいやつを見つけて頭の片隅にいれておく、という習慣があるから常になんか追われているような気がしてしまう。
一つずつやっつけなきゃいけないのに、僕はそもそも併読派だったりするのである程度どうしようもない性と言えるのかもしれないけれど、それにしても積読やマイリストが多すぎる。
時間は限られているぞ、集中力も限られているぞ。この乱雑に積み上げられた見なきゃ読まなきゃの山のどこから切り崩していけば良いんだ。
ああもうひたすら読む見るができる時間がほしい。極軽い症状で2か月くらい入院したい。
コンテンツの消費という、時間があればいくらでもできてしまうことさえままならないのに、自らコンテンツを作るということが僕にできるだろうか。
コンテンツを生み出し続け、同時に消費もし続けているプロの方たちは本当にすごいと思う。
考えてみれば、僕も生み出したいからこそ多くのコンテンツを消費したいはずだったのだ。
勉強のつもりで読んで、見る。そういう大義名分がある。けれどそれすらろくにできず、できないどうしよう時間が無いと言って自ら生み出すもののことを考える余裕さえなくなっているのは非常にバカバカしい。
そういう風に自分を顧みてみると、コンテンツを生み出すのを先延ばしするためのコンテンツを探しているような気になってくる。
ノウハウコレクター的な心理だ。より良いものを作るためには一つでも多くの優れたコンテンツに触れなければと考えるあまり、それは本当のことだとしても、自ら作るという胆力の必要なことになかなか踏み出せなくなってしまう。
結果、自分でも処理できないと分かっている量の勉強を自らに強いて安心感を得ようとしてそれも失敗して焦燥に駆られる。愚か。
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