みんなに好かれるんじゃなくて、他ならぬあなたに好かれたいと思ったら、まちも自然に偏ったりすると思う。
まちの一角を文芸の色に染めたい
最終的に僕の身の回りをどんな色に染めたいのかというと、「文芸の色」です。
僕は小説とか映画とかお芝居とかが好きで、一日の大半を読むか書くか観るかして過ごしています。
かと言って自分がそういう界隈に人より詳しいと思っているワケではありません。この分野にはちょっとうるさいよみたいなプライドもあまりありません。
僕が好きなのは「そういう時間の使い方」とか「そういう空間」なんだと思うんです。空気。ムード。
例えば、学生時代にはみんなで体育館に行くより教室で本を読んでる方が好きだったとか、空き講の時間は専ら図書室にいたとか、休みの日は本屋さんに行くのはお決まりだったとかそういうこと。
本が好きとか映画が好きっていうよりは、多分僕の場合、その空間が好きなんだと思います。図書館行っても本読まないで寝てたり、映画見ないのに待ち合わせ場所にしたりしますから。
また、本を読むことが趣味の人とか、お休みに映画に行きたくなっちゃう人に対する好感度も無暗に高いということもあります。
結局同じことなのかもしれないし、本が好きだから本のあるところが好きなのか、本を読むに相応しい空間が好きで実は本があってもなくても構わないのか、分かりません。どっちもで良いと思う。
普通の変な人が集まる場所
言うなれば、僕の「こういう感じが好きだ」っていうのは、そのまんま僕の個性だと思います。
その個性から派生して、というか個性から逆算して、なんとなく僕という人間のタイプが分かるのではないでしょうか。
どちらかと言えば大人しい人間である
多人数よりは少人数ないしは一人を好む
人間嫌いではないどころか好きなくらいだけどコミュニケーションには臆病な方である。
人見知りだけど意外に初対面だと平気(久しぶりに会う友達が一番ハードル高い)。
悩みは尽きないが好きで悩んでいる傾向がある。
よく言えば客観的に物事を見られるが、悪く言えば当事者になるのを嫌い、口だけ頭だけのところがある。
こうして挙げていけば行くほど類型が出来上がって、自分のことを書いてるのにいつのまにか世間によくいる人の典型の一つになる。
「これが好き」「こういう空間が好き」という主体性を持った個性を持ち寄って、そこから派生する性質を並べて一箇所に集まると、客観すれば特殊な一角となり、主観で見れば平凡な人間の集まりとなる。
例えば図書館にいる人のことを変な人だなーと思うことは絶対にないと思いますが、全人口から見れば図書館に足を運ぶ人は少数派で、変な人です。
そういう、ごく普通の変な人が集まる場として、自分の身の周りをデザインするには?と考える。
過剰に運命的な
もう少し我がままを言わせてもらえば、コミュニティ作りとか言っておきながら、「つながり」が前提にあるのは嫌なんです。
社会的な部分を大事にする自分もいるのなら、つまり「他者とのつながり」が重要だと考えるなら、読書サークルとか、愛好会に入れば良いようなものです。地元の文化ホールみたいなところでひっそりとお気に入りの本持ち寄ってあーでもないこーでもないやってれば良い。
だけどそうしないのは、「つながり」が前提にあるのが嫌だから。
伝わってるかどうか分からないけど、いまぼくはかなりロマンチックな話してますよ。
どこかに良い人いないかなーって言ってる誰かに、じゃあ婚活パーティでも行けよとか、どっかでナンパしてきたら?とか相当無粋な人しか言わないでしょう。
本とか映画とかそういう文芸的な何かが好きな人同士で繋がるコミュニティが欲しいと言って、じゃあ読書サークルでも入れよってのはそういうことです。
いやいや今言ってるのは、不意に、偶然、なんとはなしに、期待してないのに訪れる出会いのことだから!って。なんも分かってないなと。
婚活パーティ行ったらそりゃ誰かとは会えるかもだし「良い人」には出会えるかもしれないけど、私にとってのぴったりな人間との出会いは出会うところからすでに運命的なのだ。
僕の頭がまちづくりについて考えてるのは、コミュニティ作りについて考えるのは、まさにこういう夢見る乙女な領域です。
人とつながるためにつながる場を作りたいのではなく、自然に主体性を持って好きなように生きる誰かの人生の延長線上にあって、いつの間にかつながる誰かにいつか会いたいという迂遠な、幾分ものがたり的な何かを求めている。
何かが起こりそうなまち。
人はきっと何を目指すでもなく目指しているものや探すでもなく探しているものがあると思うのです。
どこか行きたい、なにか美味しいもの食べたい、なんか面白いことしたいって漠然とした要望をする人がいると思うけど、それって特定の何かを指してこれなんかどう?と言われてもたいてい「そういう気分じゃない」ですよね。
気分という機能を使っている瞬間が僕らにはたくさんあると思うのです。
これができるとか、これがある町というより、誰かの気分にぴったりな、気分だけでできたような空間をデザインして、漠然と何かがありそうな感じ、何かが起こりそうな感じがするまちづくりがしたい。そういう意味で「文芸の色」に染めたいと言ってる。
誰かが個性を持って訪れれば、化学反応みたいなのが起きてその場でその人が来たから発生する何かが生まれるような、変な機能を持ったまちが作りたい。
誰かの気分に反応するまちをデザインしたい(完)
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