愛は通貨になる。

お金の疑問に関する

もう全然2月じゃないけど、2月は「お金と幸せ」をテーマに読書をして、その感想や思ったことで記事を書くという予定でした。

2月は全然更新できなかったので、3月も引き続き「お金と幸せ」はテーマにしていきたいと思います。

さて、遅ればせながら、『お金2・0』を読みました。

時代の変化と共に感じられるのは資本主義の限界と、新しいお金の概念や使い方。

しかし、未来を見据えてどのようにお金と向き合っていくか、どのように資産を増やしていくべきか、ということは、しかし書いても仕方ないと思う。

これからお金はこういう風になっていくから、今のうちに仮想通貨に親しんでおくべき!とか、自分の経済圏を持つべき!みたいな話だけでは、僕は少々物足りなく感じます。

いや必要なんだと思います。これからお金がどうなるかを考えた上で、じゃあ自分の生活はどうする?って考えることは。

でもそれだけだとなんだか結局今までと変わらない気がするんです。バブル期の不動産物件を持っていると良いとか、これからは小さいうちからプログラミングや他(多)言語の知識を身に着けておくべきとかと同じ。

それってこれからの生存戦略を練るということで、他のヤツらと差をつけて、良い暮らしをするためにどうするか?という課題であって、もしそういう思考が先にあって、そういう発想から逃れられないのなら、なんか既に旧世代的なんだろうなと思うのです。

僕が『お金2・0』を読んで思ったのは、持つ持たないで人生の差がつくような社会ってもう終わるってことだろうなということ。

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資本主義から価値主義へという章の話

『お金2・0』では、資本主義から価値主義へという章があります。

贅沢なもの、高級なものには価値があった。

珍しいもの、数が少ないものには価値があった。

これは資本主義の世界。

今はこの資本主義的な価値に加え、お金に換算できないものの価値が見直されつつあります。

今後は、可視化された「資本」ではなく、お金などの資本に変換される前の「価値」を中心とした世界に変わっていくことが予想できます。

自分の意見と本の内容がごっちゃになりそうなので、土台となる部分はさらに引用させてもらいます。

価値主義ではその名の通り価値を最大化しておくことが最も重要です。価値とは非常に曖昧な言葉ですが、経済的には人間の欲望を満たす実世界での実用性(使用価値・利用価値)を指す場合や、倫理的・精神的な観点から真・善・美・愛など人間社会の存続にプラスになるような概念を指す場合もあります。

今後は、そういう「精神」で評価されるものの価値が大きくなる時代なのだそうです。

そしてそういった価値が立派な資本になる時代になる。

『お金2,0』では、「人気のあるyoutuberほどお金を失うのは怖くないが、ファンやチャンネル登録者を失うのは怖いと思います」という風に例えを示していますが、精神的な価値が資本になるということはこういうことですね。

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愛は資本になる

僕は本の要点を整理して伝えることがすごく苦手だから、ちょっと一足飛びに本を読んで得た感覚をお伝えすることにします。

結果、歯の浮くようなことを言うようだけど、これからは「どれだけ愛を与えられるか」が価値になるのだろうなと思ったのです。

愛のカタチは様々だけど、その中の一つに経済的な価値も間違いなく数えられる、という意味で、愛は資本(お金)になる。

ただ、資本主義のように資本の獲得や利潤の追求がゴールになるのではなく、愛を伝える手段として資本(通貨)は機能するようになる。

じゃあ僕が持っている潜在的な愛は誰に向けて、どんな風に手渡されるべきだろう?と考えることが、これからの経済の在り方を考えることになるのではないかと思うのです。

それは内にため込むものでもなければ、持っているだけで褒めたたえられるようなものではなくなる。ましてや数値だけを求めるようなものでもなくなる。質が伴ってこそ、という風になる。

与えてこそ、使ってこそ価値となり、それは質も伴う価値であるからこそ、誰かに届いたときに、また別のカタチの愛になる。そしてそれはまたその人の裁量で、別の誰かに手渡されるものになる。

新しい通貨によって、愛が合理的なものになる

愛とか言うと白々しいようだし、胡散臭いようだけど、経済や通貨の在り方の変化というのは、そういう、今まで曖昧模糊としていた概念をよりくっきりとした価値として可視化できるようになるというところが大きなポイントだと思うのです。

つまり、それは善性とか白黒とかそういう感覚的な領域をこえて社会に適応し、合理的なものとして機能するようになる。

それって僕、小さいときの教育が本当に価値のあるものとして活きることになると思うのです。

人に意地悪しないとか、嘘をつかないとか、約束は守るとか、困っている人がいたら助けるとか、小さい頃から教えられてきた基本的なモラルを遂行できやすくなる社会になるということだと思う。

実際大人になると実行できない善は多くなるものだと思う。困った人をやたら助けるような人は大人的な判断力ができない人と見なされるだろうし、「お人よしもいい加減に」って言われる。

それがおかしいことだと言うわけじゃないけど、小さい頃親や先生から教えられたことが遂行できない場面というのはたくさんあって、ただ正直な良い人は軽んじられることもあって、そういう善悪や清濁を飲み込んでこそ大人と呼ばれるようになる。

新しい通貨の時代は、自分がスーパーマンになれる領域の創作ができる時代

今後、愛が通貨によって可視化されることで、自分が自分の思う善性を遺憾なく発揮できる領域みたいなものが作れるようになるということだと思う。

私はこの領域で裕福で、余裕があり、愛があるので、こういう人に対して愛を与える準備がありますという風に人に言えることが、今後起こる経済的な豊かさで、資本なのだろう。

好きを仕事にするとか、楽しく仕事をするとか、今はそういう時代かもしれないけど、これも新たに来る経済のカタチに適応する準備として、漠然とした社会に仕込まれた変化なのだと思う。

どの領域なら私はスーパーマンになれるだろう、どんな人に対してならアンパンマンみたいに自分の顔を分けてあげたりできる馬鹿でいられるだろう。

お人よしとかそういうヤジをシカトして人を助けることができて、自分の美学に沿わないことは強いてする必要がなく、損得勘定を二の次にしても豊かに生きられる領域はどこだろう。

私が持っている愛と勇気が自然に発揮できて、人に愛される領域はどこだろう。

多少の苦しみや気怠さも乗り越えて、感情に折り合いをつけて、納得した人道を歩めるのはどこだろう。

うがった見方をすれば、そういう欲望(たくさんの人に、自然に愛されたいという欲望。自分を貫きたい欲望)こそがこの文明社会に蔓延っていて、僕らは物質社会を謳歌した世代よりよっぽど欲張りだと思う。

子どもらしく、夢見がちで、融通が利かないように見えるかもしれないけど、そういう部分を小賢しさで犠牲にしすぎて、正解や正義の曖昧を受け入れすぎるのも飽きてきた。

さらに、人より多くのモノを持って喜ぶ時代じゃなくなった。蓄えることで優越感を抱くような気分でもなくなった。

好きを仕事にすることや楽しく仕事をするというのは単なる経済活動上のハックではなく、新しい欲望を満たす手段となって、経済はそんな欲望に追いつくようになる、と思いました。

 

愛は通貨になる(完)

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