小説は売れない、お金にならないに負けたくない

まちづくりを考える

小説が売れないのは厳然たる事実。

書籍ではビジネス書が強くて、小説は毎年あまり奮わない。

これは文壇の出来事なので僕には関係がないのですが、どういう立場なのか、悔しいなあ、もっとみんな小説を読めば良いのにと思います。

しかし、そう言われてみれば僕だって小説の新刊なんてしばらく買ってないなあなんて思って苦笑いしてしまう。

過去の作品で優れたものがあんまり多いので新刊を買うことはあまりなく、そもそも小説って作品に出会うタイミングがみんな違っているから「新しさ」ってあまり重要じゃなかったりすると気付く。

過去の小説家の作品に今出会って面白いのなら、それは今読むべき本であって、自分にとって新しい、で十分だったりする。

ビジネス書や新書は鮮度が大事だけど、小説は時の試練を経て培った貫禄や、時代が巡るのに合わせて新しく息を吹き返すなんてこともあって(『君たちはどう生きるか』みたいな)、少々趣が異なる。

つまり、小説を読む人が少ないわけじゃなくて、日々更新される小説に、リアルタイムで追いつこうとする人が少ないんだ。

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小説は売れないに負けたくない

小説を読む人、小説を書く人はすごくたくさんいると思う。

不思議とあまり現実では会わないけれど、小説を好んで読む人、書く人はたくさんいるということが、ネットの海を覗けばよく分かる。

だけど小説で食える人、小説をお金に変えられる人は極端に少ない。

晴れて文壇デビューしても売れっ子になるのはほんの一握りだし、デビューしたけど専業では食べていけないなんてこともざらにあるって聞く。

小説だもん、仕方ないよ、究極的には作り話だし、生きる上で必要かと言われればそうじゃないし。

そう言われると辛いなあと思うわけです。

ああ負けたくない。小説は売れないに負けたくない。

お金がすべてじゃないけれど、お金がなければ生活できず、小説を書くという行為は実質、生活の犠牲によって為されるものになってしまわないか。

売れないもの、お金にならないものって割り切ったまま小説を書くと、情熱とやりがいだけが目的になってしまいそうだ。

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小説を書く、をもっと報われる行為にできないだろうか

僕は、個人的には文学賞を取ってデビューという道は大いなる夢という感じがしています。

圧倒的にカッコいいし、何より「作家」と認めてもらうためには文壇にデビューする以外の方法はないと思う。作家先生になりたいなと思うのはデフォルトだけど、もう既に無邪気に追えない夢という感じがする。

今はネット上で小説を発表することが誰でも簡単にできるけれど、やはりそれも、どこかで誰かの目について出版社を通してデビューするという「途中の道」でしかないような気がする。

負けたくないなあ。小説は売れない、小説じゃ食っていけないに負けたくない。

小説を書くっていうおそろしく神経を使って、情熱を燃やして、もっと面白く、美しくと考えているその時間を、少しでも報われるものにできないだろうか。

努力もしてるし頑張ってるから報われるべきというわけじゃないけれど、書くだけじゃなくて、見せるとか売るというところも同じくらい労力を注いで真剣にやれば、道が開けるじゃないかと思う。

文学×町

でもこう考えると、セルフパブリッシング頑張れ、宣伝頑張れ、もっと圧倒的に良いものを書け、という話になってしまうのかもしれない。

そりゃもちろんそうなんだけど、セルフパブリッシングで頭角を現すのも文壇デビューと同じくらいの難易度のように思う。

誰でもできるからこそ埋もれてしまって難しい。勝ち抜けは目指せるかもしれないけれど、小説に触れる人が増えるかというと疑問なのでんーって思う。

それで僕は自分が書きたいのも山々なんだけど、誰かのサポートもできるようになりたいんだよな。

より高次の見せ方、売り方を考えて行って、それを他者にも適用できるようにって仕組みが、WEBを使い、町を使うことで実現できないかって考えてます。

 

クリエイティブを刺激する町づくりのために考えてること/「架空の小説家とその書斎」企画

 

まちづくりがしたいの?小説を書きたいの?と言われるとどっちも!と答える。

町で小説を書いて暮らしたいし、小説を書くための町を作りたい。思いついたこと全部やって、小説は売れないに負けたくない。

まだ試行錯誤の途中だけど、「文学×町」という切り口で考えるのが今のブログが勝手に抱えてる課題。

文壇デビューしなくても、ベストセラーになって何十万部売らなくても、小説を書くという行為がきちんと生活の一部にできる人が一人でも増えたら良いなと思う。

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