文学は問い、音楽は解

自分で考える創作論

文学と音楽はよく似ている、親和性がある、と感覚で思うものの、両者はまったく違うものだ、という考えもずっとありました。

だって、よく似ていて親和性があるだけだったら、僕は小説を書くだけでなく歌を作ることにももっと関心があって良いはずだと思ったから。

でもそうじゃない、音楽は好ましいけれどつい文学に縋ってしまうのは、僕が音楽ではなく文学の方に何かを強く感じているからだ。

ボブディランのノーベル文学賞受賞のニュースを聞いたときなんかは音楽は文学なのかという疑問はすっかり大きくなって、解決しないままでありました。

何となく納得したのが、文学は問いで、音楽は解なんじゃないかってこと。

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文学と音楽の共通点と違い

文学と音楽の共通点をあげつらっていくとすれば、言葉を使った芸術である、リズムがある、時代を越えて愛されることがある、人を感動させる力がある、などだと思います。

しかし、こんな風に挙げていくと、それは何も文学と音楽に限らず、芸術全般に言えることじゃないかということに気付く。

一方違いはと言えば、聴覚にうったえるか否か、というようなことだろうか。

いや、文章にもリズムがあるし、うるささや静けさのような聴覚で得るべき感覚を文章から得ることもあるから、はっきり区別できるわけでもない。

一つ決定的な違いだなと思っているのは、文字通り言語で表す文学は、「意味を順番に並べるしかない」けれど、音楽は「同じ時間に複数の音を重ねあわせてハーモニーを作ることができる」ということ。

言葉や文字は重ねると意味が分からなくなるけれど、音楽は重ねることで意味が増幅したりすることがある。これは決定的な違いだと思う。

こんな風に文学と音楽の違いを見つけるとしたら他に何があるだろう、文学を読む、文学を志す、という立場において、もっと意義のある意識の違いはないだろうか、と考えたときに、「文学は問い、音楽は解」という答えが浮かんできました。

 

文学は問い、音楽は解

もちろん、すべての文学は問いを含んでおり、すべての音楽は解である、と言いたいわけではないです。例外はあるだろうし、ここで言う問いと解の意味も曖昧なので、あくまで僕の感覚で言ってます。

だけど、頭に「優れた」とつければ何となく納得できそうな気がする。「優れた文学は問いであり、優れた音楽は解である」。これは少し説得力があるのではないでしょうか。

「特に優れた文学は問いである」というのはなんか無難で否定しがたいものがあると思う。

反対に、「優れた問いは文学である」と言っても良いかもしれない。

自分で考えておいてなんだけど、個人的にはすごく納得して腹に落ちた感覚がありました。

そうだ、僕は小説を書くときに問いを発しようとしている。だから長くなってしまう。オリジナルの問い。問うてることにすら疑問を抱き続けているようなこと。そしてその問いを共有できたら幸せ。

僕はたまに「作り話に自分の主張を絡めただけ」、いや「自分の主張を架空の話と人に代弁させているだけ」の文章を小説と称しているのを無性に許せない気持ちになることがあるのですが、そのイライラの正体もつかめたような気がします。

音楽はスペル・マントラ

音楽は「解」という意味の方が分かりにくいかも。

それはメッセージか?主張か?

もし文学の問いに対して、音楽の解が主張やメッセージだというのであれば、それは少し的を外しているような気がします。

それはもっと強い解というか、もっと絶対的な解であるようです。

そういう意味では、音楽は呪文・スペル、経、マントラに近い存在で、唱えることで力が宿るというか、意味は分からなくてもとにかくその音で、その言葉で、くちづさめば、てきめんに効いてしまう、みたいなところがあると思う。

南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へ行けますよ、というのと同じくらいの強さ。意味は分からなくても一文字ずつが、一音ずつが、あなたの魂に響きますよ、と言ったような絶対性が、音楽にも備わってると思う。

だから、音楽や歌というのは「覚えられるもの」だという点も大事。つまり聴くことに限らず、自ら歌うことも可能だったりして、携えられることができるというのが大事。文学は、書物を持ち歩くことはできる。でもその問いを発する過程や、問いそのものを疑うのには相応の時間がいる。

正しい考えなのかどうかは分からないし、音楽と文学の違いを考える意味も別にないのかもしれないけど、こんな風に考えたとき、書くものの意識が変わるのではないかと思った、というお話でした。

 

 

 

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