コミュニティスペースの使い方を自分からスタンダードにしない

旧佐藤医院

小さな規模の世界観を守るという意思や工夫

という記事を昨夜書きました。

ざっくり何が言いたかったかというと、「サイズ感も含めて世界観」だと思うから、何かを発信したり表現したりするとき、とにかく広く、とにかくメジャーにと規模を広げたいところをグッと我慢して、「規模を守る」という発想が必要なんじゃないか?という話でした。

例えばぼくの町で言えば「旧佐藤医院」というコミュニティスペース及びコワーキングスペースのことをなんとなく念頭において書きました。

具体的な話をすると芯がズレそうだけど、少しだけ具体的な話をしてみようと思います。

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コスプレの撮影にもどうぞなんて宣伝はしない

最近ちらほらと「旧佐藤医院を利用してコスプレの撮影がしたいのですが」という問い合わせが増えています。嬉しいことです。

旧佐藤医院は残っているだけではあまり意味がないと思っていて、残っているからには利用してもらいたいという気持ちが個人的にはあるので嬉しいです。

珍しい建物ですね、素晴らしい建物ですねと言ってもらえるのももちろん嬉しいのですが、珍しさとか貴重さとかを消費するだけでは正直宝の持ち腐れだと思います。

ここを利用して何ができるだろうか?と考えてくれる人が個人的には好きだし、「自分が思う価値」のために建物を、スペースを、活用してもらえたら嬉しい。

そういう意味ではコスプレをして写真を撮りたいという意思は、まさに「自分の価値」を作り出す行為だと思うので、個人的には大歓迎なわけです(この辺の意図は後日詳しく書きたい)。

しかし、例えば僕がそういう方から許可を得て写真を公開させてもらい、「コスプレ写真の撮影にもどうぞ!」のようにアナウンスするのは何か違うと思うのです。

それをやった瞬間に世界観が壊れる気がする。今日はこの感覚を書きたい。

自分からスタンダードにしちゃいけないような気がする

自分から情報をキャッチし、気になって連絡をしてきてくれた方とは違う層、少し言い方は悪いかもしれませんが「受動的なライト層」に向けて積極的に発信した途端崩れるものがあるという確信があります。

何が崩れるかというと、イレギュラー感、もしくは少し大げさに異世界感。マイルドに言い直すとすればズレ感。分かりやすく言えばオリジナリティ。

自分で探しだし、連絡をくれて、理想を携えて来てくれる人が感じるのはそういう感覚だと思います。だからこそ丁寧に連絡をくれるのだとも思う。

それは「こういう風に使って良いのかどうか分からない」「誰にどんな許可を得れば良いか分からない」という情報の不足とトレードオフではあります。

だけど「使い方」をこちらから提示しスタンダードにしてしまうことで、丁寧に連絡をくれる方の「使えるかなあ?迷惑かもしれないなあ、でも使いたいなあ」という、内面に抱くイレギュラー感やズレ感を損ねてしまう気がする。

それはオリジナリティの不足に繋がり、ひいては、実にありきたりな活動、コミュニケーションになると思うのです。

小さく閉ざされた世界観のまま多くの人に使ってもらう方法

もちろん、誰かの口やSNSから「旧佐藤医院ってところがあってね」という風に紹介していただくことに何の問題もありませんし、そういう風に広がってくれるのは嬉しいことです。

きっとそういう風に伝えてくれる方は「この人ならあそこを気に入りそうだな」とか、「この人ならマナーを守ってくれそうだな」という風に判断して話してもらえるのだと思います。

これが小さな規模の世界観を守りながら、同時に広く伝わるプロセスではないでしょうか。

「口コミで広まれば良いってこと?」という風にまとめてしまうとやはり芯を外します。重要なのは「価値観の共有や波長の一致があった上での情報伝達」という点です。

こういうこと、考えたりブログに書いたりすることにどれだけ意味があることなのか分かりませんが、考えることもブログに書くことも大事だと思うので、メモとして残しておきます。

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