コントと文学って似てるなと思う。
音楽と文学も似てるなって思うけど、コントと文学はもっと似てると思う。
そもそもコントって文学的なジャンルという認識だけど、日常会話でコントと言うと、設定のある短いお話しの中で演じ、お客さんを笑わせるあのコント、お笑いのジャンルとしてのコントであると思います。
コントが小説のようだと初めに思ったのは、ラーメンズのコントを見たときです。中学1年生の頃が最初だったと思う。
ラーメンズのコントはいずれも完成度の高い短編小説を読んでいるようで、笑えるという面白さだけに留まらない「面白み」を感じました。ああ、表現の幅が広い分野なんだなと思いました。
それで中学くらいからずっとお笑いは好きなんだけど、特にコントが好きです。
ラーメンズが一番親しみあるし中高大とラーメンズのコントしか見てないくらいなんだけど、東京03のコントも間違いなく面白くて好き。最近はジャルジャルのネタのタネもよく見ます。
コントが好きだというのはもしかしたら小説の中でも特に短編小説が好きな気持ちとか、怖い話が好きな気持ちと通じてるのかもしれないです。
コントは高度に可視化された文学のよう
コントは高度に可視化された文学のようだと感じます。
色々なコント師がいると思いますが、それぞれ持ち味だったり世界観があるのがすごいなと思います。キングオブコントを見ても、あの舞台に残る上位10組は本当に個性的ですよね。
たくさんのコント師がいて、それぞれが違う。それは当たり前に見えてすごいことだと思う。
寸劇という枠の中で個性を出し、持ち味を持てるのがすごい。ストーリー、キャラクター、設定、動き、BGMなど、世界観を出す方法はたくさんあることが、コントを見ていると思い知らされます。
自分の小説もこうでなければ、と思いました。
ラーメンズのコントに見える設定の妙
そもそも設定から独特なケースが多いのがラーメンズのコントの特徴と思われます。
例えばラーメンズでは「アトムより」というコントの中で、作中キャラクターが「現実の中の非現実ではなく、非現実の中の現実」という感じがすると自身たちのコントを評していましたが、まさにそんな感じの作品が多いです。
これはストーリーの設定だけでなくて、人物の設定でも言えます。その人物にとっては当たり前の日常なんだけど、それに関わる人や、見る人にとっては独特な生態の何かに見える。
ただ「変な人」というわけじゃなくて、当人は自分のことを「変な人」だと思ってないから生まれるストーリーがある。
また、小道具や衣装がシンプルなもので統一されているか、極力排除されているというのもラーメンズのコントの特徴です。
小林健太郎さんがその余白について「借脳」と言っていました。小林健太郎TVの何回目かちょっと忘れちゃったけど、言っていました。
またトップランナーでは、お客さんが勝手に想像してくれる余白を作ることで、例えばレストランという設定やコンビニという設定を提供した時点で、自分にとって一番身近なレストランやコンビニをイメージするから、「なんで知ってんだ?」や「あるある」が生じるというようなことを言っていたような。
東京03のキャラクターの活かし方
東京03のコントは、それぞれのキャラクター性が活かされるストーリーの構築が巧みですごいと思います。
設定自体は非現実的なものは少ないのではないでしょうか。どのキャラクターも少々個性的ではあるけれど共感できるタイプの普通の人であることが多いです。
だいたいどのコントでも絶対にハズレくじを引いてしまう角田さん、怒りのボルテージが次第に上がっていく飯塚さん、常識人からサイコパスまで演じることができる豊本さんのキャラクター性の三すくみは鉄板で、だいたいどんなシチュエーションでも面白くなります。
多くのコントで自身たちの名前そのままで演じていて、キャラクター性が一貫しています。
だから見てる方は、それぞれのキャラクターに期待してしまいます。
例えば角田さんであれば、たいてい可哀想な展開になる。どれだけ調子に乗ってても結局取り乱したり責められたりするから、見てる方はそれ待ちみたいなところがあります。構図としては角田さん対2人になることが多いです。
飯塚さんはたいていまともな神経を持った人間なのですが、切れ始めたらやたら暴れるし手が付けられない傾向にある。
豊本さんはどう転ぶか分からないジョーカーで、しばしば行動原理が理解できなかったりします。
3人のコントという特性を活かしきったコントが持ち味。
コントは教材であり栄養剤
コントについてこうして書くとなんだか変な感じですが、何が言いたかったかというと、それぞれ持ち味があって、世界観があるよなってことです。
コントと言っても、シチュエーションとか登場人物は限られているわけです。
親子の会話とか、オフィスでとか、遅刻っていうトラブルが原因でとか、そういう文字にできる情報ではそれほど差はないと思う。
だけど演じる人によって全然違う持ち味のコントになって、それぞれが独特の面白さを持っている。
小説を書いていると、シチュエーションや起きる事件、伝えたいテーマなどが自分の中に乏しくてがっかりすることがあります。
社会経験、人生経験が乏しいのかなと思うこともしばしば。
だけど自分の持ち味みたいなものを見つけることができれば、創作の幅って広がるなと思わせてくれるのですコントは。
何を語るかよりもどう語るかの方が重要かもなとか、そういうことを考えると、まだまだ書くべきことがあるような気がします。
コントは教材であり、栄養剤です。
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