コンテンツの消費速度はどんどん上がっていく。コンテンツのファストフード化によって起きる精神的痴呆について

発想と行動を記録する

コンテンツの消費速度がどんどん上がっていく。

コンテンツがファストフードやインスタント食品のようになっていく。

これは心や頭脳の話だけど、一瞬の満足感と引き換えに腹は満ちず、そのわりに余計なものを溜めこんでは肥え太っていく。

簡単に、素早く、安く手に入れられる情報を無制限に貪るだけ貪った先に起きるのは精神的な痴呆。

この傾向(精神的痴呆状態)が自分にあることに気付き、携帯をいじる時間を減らすことにした。最近では、特にツイッターやインスタグラムなどの短時間で大量に情報を摂取できるSNSはあまり見ないようにしてる。

考えてみればこれも誰かに言われたことのような気がした。

「携帯を見る時間を減らせ!」「スマートフォンが危険だ!」といつか誰かに言われたから、それがやるべきことだと思ったんじゃないか?どこで見たかは覚えてないけど。

これが精神的な痴呆状態じゃなくて何か。

自分で考えた気になっているけれど、その実本当は誰かの言い分をそのまま受け入れているだけ。

自分が賢くなったような気がするけれど、その実本当は誰かの知性や見識に触れて酔っているだけ。

その繰り返しの果てに自分自身が導き出した行動なんか一つも取れなくなって、誰かに操られてしまうけど、その誰かが誰なのか分からない。

スポンサーリンク

『華氏451度』ベイティー隊長

この状況ははいつから始まったんだろう?当然そういう疑問はわくな。どうしてこんなことになったのか、どこで、いつ?まあ、おれの見るところ、そもそもの始まりは南北戦争とかいうものがあったころだ。もっとも服務規定書によりば、基盤ができたのはもっと早いというがね。実際のところ、われわれの暮らしにまとまりができはじめたのは、写真術が確立されてからなんだ。つぎには――活動写真、二十世紀初頭のころだな。ラジオ、テレビジョン。いろんな媒体が大衆の心を掴んだ

『華氏451度』はあらゆる書物の所持が禁止された世界を描いた古典SFですが、この世界において描かれる人々の姿はこれから僕らが向かう未来を予言しているようです。つまり大衆が精神的痴呆状態に陥る未来。

上のセリフはガイ・モンターグがクラリスという少女と出会い、自らを取り巻く世界や自身が行っている焚書という業務について疑いを抱き、仕事をボイコットしようとする場面で、上司のベイティー隊長が家に訪れてモンターグと話すパートです。

ちょっと多いし長いけど引用していきます。ドキリとする言葉がたくさんありますからね。

そして大衆の心をつかめばつかむほど、中身は単純化された

(中略)

むかし本を気に入った人びとは、数は少ないながら、ここ、そこ、どこにでもいた。みんなが違っていてもよかった。世の中は広々としていた。ところが、やがて世の中は、詮索する目、ぶつかりあう肘、ののしりあう口で込み合ってきた。人口は二倍、三倍、四倍に増えた。映画や、ラジオ、雑誌、本は、練り粉で作ったプディングみたいに大味なレベルにまで落ちた。わかるか?

 

十九世紀の人間を考えてみろ。馬や犬や荷車、みんなスローモーションだ。二十世紀にはいると、フィルムの速度が速くなる。本は短くなる。圧縮される。ダイジェスト、タブロイド、いっさいがっさいがギャグやあっというオチに縮められてしまう。

 

古典は十五分のラジオプロに縮められ、つぎにはカットされて二分間の紹介コラムにおさまり、最後は十行かそこらの梗概となって辞書にのる。もちろん、これは誇張だよ。辞書は参考に使うものだ。ところが『ハムレット』について世間で知られていることといえば(お前は題名ぐらい知っているな、モンターグ。あんたには多分どこかで聞いたことのある名前だな、といった程度でしょう、ミセス・モンターグ)、つまり、いまもいったように『ハムレット』について世間で知られていることといえば、《古典を完全読破して時代に追いつこう》と謳った本にある一ページのダイジェストがせいぜいだ。わかるか?保育園から大学へ、そしてまた保育園へ逆もどり。これが過去五世紀かそれ以上もつづいてる知性のパターンなんだ

 

フィルムもスピードアップだ、モンターグ、速く。カチリ、映像、見ろ、目、いまだ、ひょい、ここだ、あそこだ、急げ、ゆっくり、上、下、中、外、なぜ、どうして、だれ、なに、どこ、ん?ああ!ズドン!ピシャ!ドサッ!ビン、ボン、バーン!要約、概要、短縮、抄録、省略だ。政治だって?新聞記事は短い見出しの下に文章がたった二つ!しまいにはなにもかも空中分解だ!出版社、仲介業者、放送局の汲みとる力にきりきり舞いするうち、あらゆるよけいな込み入った考えは遠心分離機ではじきとばされてしまう!

レイ・ブラッドベリ 伊藤典夫訳 『華氏451度』新訳版 早川書房 91~93Pより引用 

 

考える時間を減らしたい

僕はもうしばらく前から、夜は何か聞きながらじゃないと眠りにつけません。

いつも怖い話を聞いたり、申し訳程度に英語の勉強用に登録しているチャンネルのストーリーを聞いてる(これも怖い話)。

常に何か情報を摂取しようとしては、その実自分の身に何が起きているかというと、「自分の頭で考える」という経験の不足。自分の頭で生み出すことはほとんどなく、ただただ情報を受け入れるだけの箱になっている。

これは自分から望んだことで、夜は何か情報を耳に入れないと頭の中で考えというほどのものでもない考えが巡って煩わしいと感じるようになった。

何か有意義なもの、楽しいものを聞いていれば時間を無駄にするという漠然とした恐怖も感じず、落ち着いて入眠できる。

寝る前に限らず、中毒のように情報を欲している。何か核心をついた新しい事実が知りたい。

知識欲も好奇心も子どもの頃よりずっと高まっていると思うけれど、その割に頭に残っていることは少ない。摂取すればすぐに泡沫のように消えさってしまうものばかり。

媒体の変化が速い

例に漏れず、テレビはほとんど見ない。

youtube動画の広告のスキップできるまであと5秒すら果てしなく長く感じて、最近では飛ばせない広告も増えているけれど、とても長く感じるのだから、テレビCMのかったるさや、過剰な情報の引きがまどろっこしくて時間がもったいないと思ってしまう。

「誰でも簡単にできる驚きの収納術とは!?」 

「最新科学が推奨する最強の老化対策食材とは!?」

おなじ引きが2度3度繰り返されるともうどうでも良くなる。その胡散臭い情報のために30分も見てられない。

タレントのコメントも不要、感想も不要、なぜいちいちクイズ形式にする?必要な情報だけをサッと教えてくれれば良い。だからネットの方が良い。

ブログ記事もたいていSEOのためにかったるい情報が連なっている(このブログにかったるいなんて絶対言われたくないと思うけど)。言葉の定義とか、あらすじとか、検索キーワードの二語目を網羅するのが重要だった。

ところが最近ではテキストなんて読まない、みんな耳から情報を取りいれる、視覚的に理解する、そちらの方が理解しやすいから。それに5Gの時代がやってくるから今後は動画コンテンツだ。

動画は適切な情報を適切な速度で。つまり、とにかくテンポ良く耳に叩き込む。重要なところには効果音を入れる、テロップを入れる。負担を減らし、簡単に欲しい情報に手が届くようにアシストしてやる。

人々は情報までのアクセスがどんどん容易になる。有益な情報の奔流。人はどんどん賢くなる一方で、自分の頭が使えなくなってしまう。

あらゆるものに反作用がある

媒体が、人々の情報を取りいれる速度を日増しに増すアシストをして、どんどん無駄な時間を過ごさなくなる。

必要なものを素早く摂りいれ、素早く忘れる。早く次の刺激が欲しいと思う。クリエイターは素早く新しいコンテンツを生み出さなければならない。

こなれるけれど品質は低下し、今のテレビと同じようなつまらなさを量産する一方で何も考えずにとりあえず楽しいという価値を生み出し続ける。

あらゆることには反作用がある。コンテンツのファストフード化、インスタント食品化が進めば、その反対側では膨大で難解なテキストが読まれたり、高度な計算に時間を使う人が増えていく。

手作りを好み、手間を愛し、こだわりと名付けて自分の時間を作っていく。

そういう時間はあまりうまくいかないことが多いから、忍耐が必要になる。広告がスキップできるまでの5秒間に耐えられない僕たちは、この先何十年とかけて形作っていかなければならない、冗長で怠惰な時間に耐えられるだろうか。

『華氏451度』で描かれるのは「自分で人生を作ること」を許さなかった世界。

あらゆる書物の閲覧、所持を禁止し、自分の頭で考えること、自らテキストを追って思想を広げることを禁止した世界。

手間、無駄な思索、観察を行う人間を愚かな変人と決め込んだ。情報をひっきりなしに与えて、精神的痴呆状態に人を陥れ、支配しやすくした。

そんな時代は来ないと信じたい

そんな時代は来ない、と言いたいけれど、少なくとも僕はどんどん自分の頭で考えられなくなっている。

与えられる情報をひっきりなしに欲しては、すぐに枯渇し、お腹が空いたと喚いてタップとスクロールを繰り返してしまう。

そのくせ一定以上のことを考えられない。信じ込めば疑うことを知らず、一度疑えば真実ですら聞く耳を持たない。

馬鹿みたいだと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました