考えていることのうち、見える形で表れるのはほんの10%くらいだと思う。この数字を高める工夫がクリエイトには必要なのでは。

自分で考える創作論

考えていることのうち、目に見える形で目の前に現れるのはほんの10%から多く見積もっても20%だと思います。

体感なので何の根拠もないけれど、何かを思いついて、それを目に見える形にするまでのプロセスには果てしないと言っても言い過ぎではない距離があり、めでたく日の目を見るのはそれくらいだな、という感覚があるのです。

きっと、何らかの表現、何らかの工作をする方は共感してもらえることだと思います。

本当はもっと思いついてるのに、頭を過っているのに、人に見せられる分はたかが知れている。

80~90%の捨てる思考の先に10%の拾う思考があるのかもしれない。

だけど、何か作りたいと思うのであれば、まず思いついたことをもっともっと、表に出すこと、形にすること、目に見える形に加工することについて、トレーニングをする必要があると思うのです。

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見せるほどのことでもないフィルター

僕らの思考や発想がなかなか表に出ないのは、僕らに「見せるほどのことでもないフィルター」が備わっているからだと思います。

実際、見せるほどのことでもないこと、伝えるほどのことでもないことがめちゃくちゃ多いのは自明。子どもじゃあるまいし、なんでもかんでもお母さんに聞かせるみたいに世の中に披露できることばかりじゃない。

でも、それらもきっと「見せるほどのこと」や「伝えるほどのこと」に至るまでの大切な思考的ステップだということはきっと誰もが体感していると思います。

この、見せるほどのことや伝えるほどのことを質を高めたり、量を増やしたりするためにも、本来なら捨てるような思考も発想も、せめて自分にだけは可視化できる程度には残しておく必要があると思うのです。

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表に出す領域を増やそうと思うことで、捨てる思考も発想も増えて思考の総量が上がる説

必要があると言えばなんだか押しつけがましいような気がしますが、何というか、無意識に捨てるような発想や思考も、ちょっと意識してワンステップ、「どうやって伝えよう?」とか「どう書こう?」と考えることで、何かが底上げされる気がするのです。

これだって、わざわざ言うほどのことじゃないかもだけど、僕にとってブログは割とそういうところ。

捨てた思考や発想は忘れてしまった夢のようにつかみどころがなく、伝えようもなく、モヤモヤと過る印象程度のものでしかなく、「次」を考える足掛かりにもならないことが多いです。

僕らの思考は無意識のレベルで醸造されていくみたいだから、言うほどもったいなくないのかもしれませんし、なんなら無意識の力を信じて発想や思考なんて垂れ流しにしておいても良いのかもしれない。

だけど結局、捨てるような発想や思考をどうやって伝えようとかどう書こうとか考えるプロセスにおいても、どうしても捨てる部分ってのが大量に出てくるに違いないから、そんなの杞憂だろう。

となれば、やはり表に出す領域を増やそうと思うことは、その背後の捨てる思考、無意識に流れる思考の総量を高めることになるから、何かが底上げされるって部分に間違いはないのではないかと思います。

 

 

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