「枠」とはクリエイトに必要な制限のことだと思います。内容を引き立てる制限。魅力的な制限。

自分で考える創作論

内容だけじゃなく内容を収める枠も大事で、今は内容にしろ枠にしろ、オリジナルなものを作ってお披露目するのが簡単になった時代だ、というようなことをここ数日考えてました。

作品は、内容だけじゃなく「枠」が大事。超大事。
あらゆる作品の、内容が大事なことは間違いない。コンテンツイズキング。でも「枠」も大事。むしろ今は「枠」の方が大事と言っても良いかもしれない。「媒体」、「プラットフォーム」、「額縁」。考えてみると作品の枠には実に色々な名前がついています...

 

「枠にとらわれない」と「枠をとらえる」
なにかと「枠にとらわれない」ことが良しとされることが多いです。現状打破、斬新なアイディアの発想、マンネリの解消などなど、日常の問題をクリエイティブに解決する手法の一つとして、多くの心の中に「枠にとらわれない」というキーワードがあるのでは...

 

総クリエイター時代に「コンテンツ」だけ作る愚。魅力的でオリジナルな「枠」が作れる時代
何かを作る、生み出す、表現する、発信する。そんなとき、「枠」が大事。「枠」も大事。ということを最近は考え続けています。  この記事では、過去の二記事よりもっと創造的な分野、クリエイティブな分野に絞って「枠」について考えていきたい...

 

今までは専ら内容を作る人、専ら枠を作る人って感じで分業されてたような気が僕はするのだけど、枠を作ってから内容を作る、内容に相応しい枠を作るというような人たちも増えてきているんじゃないか。

それはつまり、枠すらもオリジナルのものを求めるようになったし、オリジナルの枠を作ることも可能になってきたということだと思う。

今までは不可能だったのか?と言われれば違うかもしれないけれど、自分が作る「内容」に合ったオーダーメイドの枠を作れば良いじゃんって気付いたというか、そうしないともったいないじゃんって思うようになった人が増えたというか。

小さくても強固な自分の世界観を表現することにかけて、妥協をする必要がなくなったという感じでしょうか。

実に曖昧模糊としたことを言っているのでちょっと例え話をします。

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絵と額縁の例え

まずここで言う「枠」とは、「内容(コンテンツ・作品)」を入れるための何かです。

絵画を例に取ると分かりやすくて、絵が内容だとしたら額縁が枠。絵画にとって額縁が重要なことは言うまでもないですが、それはどんな「内容(コンテンツ、作品)」にも言えることです。

枠次第で内容がより引き立ったり目だったりしますからね。

絵を描く人は、額縁に合わせて絵を描くのが普通だと思うのです。額縁に合わせるというか、一般的な規格のサイズというものがあって、それに合う額縁を使う。

額縁は普通自分の力ではなかなか作れないから、専ら絵を描く専門の人は世にある一般的なサイズとデザインの額縁を基準に絵を描くのが普通のはずです。詳しくないのであくまで予想だけど。

しかし中には、歪な形の紙に描いた絵を描きたい人がいるかもしれないし、すごく小さな絵を描きたい人もいるかもしれない。自分が表現するものに相応しい形やデザインはこうなのだ、ということがあるかもしれない。

しかしそれに見合う額縁がないからこれまでは仕方なしに額縁を使わずそのままにしておいたり、既存のものを代用したりしたのだけど、その絵にぴったりの額縁が自分の手で簡単に作れるとしたら(3Dプリンタとか使うんですかね)そうする人は多いのではないか。

これが今の時代なのではないか、ということ。

自分の表現するもの、作り出すものは、ほぼ無意識に世にある規格(枠)に沿って作るけれど、実際はそうじゃなくて、オリジナルの内容に相応しい、オリジナルの枠を作り出すことも可能だ、という時代だと思う。

WEB上の文章の例え

絵の話は具体性はあるけれど、なまじ具体的な分、普遍性に欠けかえって分かりにくいので、さらに「WEB上に文章を書くこと」を例に取りたいと思います。

WEB上の文章はオリジナルなように見えて、実はかなり媒体に依存しますよね。

SNSであればフェイスブックにはフェイスブックっぽい投稿がされがちだし、ツイッターにはツイッターらしい投稿がされがち。noteにはnoteらしい文章が連なる。

ここではそれぞれの媒体が持つルールやデザイン、そして制限が枠であり、額縁です。僕らどうしても枠に基準を合せて内容を作ってしまうし、内容が枠を作っていく、という見方もできる。

いずれにせよ、決められた枠の中で完全なるオリジナルを作り出すのは難しい。なぜならそれは制限だから。

文章で言えば、じゃあ個人ブログを作れば?と思う人もいるかもしれませんが、今度はグーグルの検索エンジンというより大きな枠に依存していたりして、何だかんだ個人ブログの形も似通ってしまう。

しかし、そういうのをすべて度外視して本当にオリジナルのメディアを作るという人もたくさんいる。制限の方を自分で決めようという考えです。

自分のクリエイティビティを最大限に発揮できる魅力的な制限をこさえようという考え。

そういうことが、WEB上の文章に限らず、ちょっと前よりは随分簡単になったのではないか、という話です。

内容だけでなく、枠にも個性を活かせるようなプラットフォームを

最後に自分の話というか、自分たちが管理している「コミュニティスペース」の話がしたいです。

作品や表現物ではなく、急に「田舎の空き家の話」になって面食らうかもしれないけれど、「オリジナルの枠を作る」という営みはこういう領域でも応用できるという例になると思います。

僕は町のコミュニティスペース「旧佐藤医院」を、魅力的な枠としてのプラットフォームになったら良いなと考えています。

旧佐藤医院
北海道士別市朝日町にある、コミュニティスペースです。元病院です。

「旧佐藤医院」というコミュニティスペースは名前の通り元病院なのですが、表側が洋風建築で、奥の方は和風建築という趣になっています。

大小様々、趣もバラバラな部屋があり、各スペースの使い方は利用者に委ねられます。

パンやケーキなどの食事を提供する方にかかればそこは全体がカフェのようないでたちになります。

僕は執筆のために利用することが多いので、書斎や作業場として「旧佐藤医院」を見ることが多いです。

もちろん会議室にしても良いし、撮影のセットにしても良いし、アトリエにしても良いし、歓談の場にしても良いです。いずれも実際にあった使用法です。使用意図に応じて多少部屋のレイアウトを変更したりすることは可能です。

使う人によって「内容」のオリジナリティを発揮できること、そしてその個性に合わせて「枠」の方が雰囲気を合せていく。そんな創造性の溢れるプラットフォームとすることが理想です。

とは言え、ここは具体的な物としての場でありますので、やはり「枠」の制約は受けることになります。また、管理者である僕の考えも制約として働くでしょう。

何でも良いからと言ってトレーニングジムのように使うことはできないでしょうし、全面禁煙なので喫煙所にすることはできません。

しかし、枠とは制限のことだと思います。内容を引き立てる制限。魅力的な制限。

そういうもののことを最近考えています。

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