誰かの「小説の理想」を完全に吐き出せる場所にしたい

村上春樹『職業としての小説家』の冒頭の話が狂おしいほど好き

という記事で、僕は小説に関して非常にプライドが高いというようなことを書きました。

『職業としての小説家』で村上春樹が言う通り、「自分がやっていること、書いているものがいちばん正しい。特別な例外は別にして、他の作家は多かれ少なかれみんな間違っている」と考えている、というのは真理だと思う。

僕はこの一文に大変共感するので、もしかして作家としての資質の一つがあるってことじゃないか?と思えるので嬉しい、みたいな話をしました。

もちろん、僕としては文字通りに捉えられると困ります。

小説を書くという行為において、自分の欠点や、まだ届かない領域というものはよく分かっているけど(つまり謙虚な部分も持ち合わせてるけど)、それでも自分の中にある「小説の理想」は絶対に間違ってない、と思えるような自信がある、という程度のことです。

その辺りに土足でズカズカと踏み込んでくる人は勘弁してほしいと思ってる、自分なりの理想や哲学を、汚そうとする人には関わりたくないと思ってる、みたいな。

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こんな僕が小説家に会いたいというのは間違っているか

ただこうして、「僕は小説に関してプライドが高い」と書いてしまうと、いずれにせよ、その印象だけが頭に残るでしょう。

それはそれで構わないです。それに、プロでもないのにそういうプライドがあるって、傍から見るととても滑稽なことなのかもしれない。

それも別に良い。そのあたりにプライドはないので問題はありません。

しかし、こんな風に自分の性質を開示しているにも関わらず、僕は同じ口で、小説家に会いたいとか言うわけです。

僕のまちのコミュニティスペースがみんなの書斎になって、各々執筆活動が行えたりしたら良いなと考えています。

そのために民泊も開始しました。創作を志す方には1週間15,000円で部屋をお貸しします。

執筆を離れた時間は普通に人として、歓談するなりしないなりできれば良いなと。

小説に関してプライドが高くて、とても少ないながら特定の小説を読んで嫌な気分になるような僕が、こんなことを志して良いのでしょうか。

作家としての矜持を他者も当然持っていると思えるからこそできる

もちろん、良いと思っています。

むしろ、作家としての矜持を他者も当然持っていると思えるからこそできると思います。

僕は絶対にアドバイスなんてしません。一意見という名のアドバイスもするつもりはありません。

長所だと思えるところを口にすることはあるかもしれませんが、短所だと思えるところはただ単に僕の好みと、これまでの読書経験の足りなさからくる新鮮さに対する拒否反応というだけだと考えるので、そういうストックとして蓄えるだけです。

つまり、人が書いた作品について短所などを探してマウントを取る趣味はありません。

ただ、自分が書いた物語について語り合いたいという方もいると思いますし、文芸というよりは、自分の心の整理のために小説という形式を借りる人もいると思いますから、相手が望むなら別です。それは普通に人間としてお相手したい。

ただ大きな理想として僕は自分のまちを、それぞれ持ち合わせているはずの「小説の理想」を完全に吐き出せる場所にしたいのです。

それぞれ持ち合わせているはずの「小説の理想」を完全に吐き出せる場所にしたい

おいおいツカダ、それじゃあお前矛盾してるじゃないかとおっしゃる方もいるかもしれません。

誰かの作品を読んで嫌な気分になることもある、って言ったじゃないかと。

難しいところですよね。自分でもよく分からないです。結局ただの嫉妬だと思います。前回もちょっと書いたけど。それにしても嫉妬感情というのも複雑すぎて、一辺倒に説明できません。

ただ大前提として、そういういきさつで不快な気持ちになるのはごくごく稀なことだし、文芸の道を志しているというだけで僕は勝手に仲間意識を持ちます。

その上で、小説の理想が違うのは当然だから、相手の聖域に足を踏み込まずに居るべきだと考えていますし、その手段も何となく分かっていると自負しています(このあたりはもう少し説得力のある言い方をしなければなりませんね)。

ただ、この記事で一番伝えたいのは、大きな理想として僕は自分のまちを、それぞれ持ち合わせているはずの「小説の理想」を完全に吐き出せる場所にしたいという部分です。

そしてそのためには、作家のプライドを理解しているという素質は必要なのではないかと思っている、ということが、二番目に伝えたいことです。

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