弛まぬ努力ができるから一流なのか、一流だから努力ができるのか

発想と行動を記録する

嵐の公式インスタグラム(ストーリー)で、櫻井翔さんがコンサート後に行うルーティントレーニングを見ました。

けっこうハードな筋トレをしている姿で、よく見たらコンサート後のルーティンだと書いてあったから驚愕です。

また、こんなことを思いだしました。

とは言えずっと昔なのでうろ覚えだけど、ゴッドハンドを持つという脳外科医のドキュメンタリー(名前も忘れてしまった)。

その先生はどんなに時間を費やす困難な手術のあとでも、必ずその日のうちにカルテに手術の記録をつける習慣があると紹介されていました。番組内では、手術後の深夜一時から詳細な図を伴った手術記録を書きあげていました。

彼らとは立場も分野も、何もかも違えど、僕だって日々努力しなければならないはずです。

でも僕はすぐに諦めるしすぐに怠ける。

人気グループメンバーの一人である櫻井翔さん、ゴッドハンドを持つ脳外科の先生が努力をしているのに、何でもない僕が努力を怠るのはおかしいことだよね、と思ったのが今日のハイライト。

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努力ができるから一流になるのか、一流だから努力ができるのか

僕の中に彼らは今一流だから一流レベルの努力ができるのだ、と考えているところがあります。

つまり、実力がある、人気がある、認められている、という状況(今既に一流)だからこそ、努力しがいがあって、努力が継続するのだとする見方です。

負け犬っぽい考えですが、これは実際ある程度事実だと思います。

陰ながら努力するとか、コツコツと積み重ねることの何が辛いって、誰にも認められないことですよね。

頑張っても誰も褒めてくれないし、それどころか努力を見てくれる人すらいない。褒められて伸ばされたいのは僕だけじゃないはず。

しかし誰にも何も与えていない状況では常に努力が足りない、成果が出ていない以上努力と認められないのもまた自然。

こんなに自分は努力をしているのに、と思ったら負けで、負け惜しみでしかなく、努力はすりゃ良いってもんじゃない。

多かれ少なかれ、こんな具合に努力しきれない気持ちが僕らの中にはあって、腐ってしまったり諦めてしまったりすることもあるのではないでしょうか。

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セルフイメージにあった努力をする

いきなり一流の人なんかいないのだから、間違いなく、一流になるための努力、人一倍の努力、ちょっとやそっとでは真似できない努力を水面下で繰り返した人が一流になるに違いありません。

とは言え、今一流だから、一流なりの努力ができるというのもある程度本当だと思います。

ここで思ったのが、僕らつまり、セルフイメージに適した努力をするってことじゃないかってことです。

自分を一流と見なせば、もしくは自分が提供している価値の重要さを思えば、それなりの努力ができる。

でも自分はまだ凡人だしとか、駆け出しだし、若輩だし、素人だし、と思っていれば、それなりの努力しかできない。

自らその立場にいようとする。一流にならないようブレーキを踏んでいると言っても過言ではない。

それならまず、自分はこのレベルの人間だという像をしっかり結ぶことが大切なんだろう。

具体的にどんなレベルの自分を設定するかは人それぞれだと思うし定めにくいと思うけど、とりあえず自分が「さすがだな」「なかなか真似できないな」とつい褒めたくなるレベルの努力を設定すれば良いのでしょう。

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