2020年現在、完全に動画の時代であることは間違いないと思います。
あらゆる情報が動画に集約されていっている感がある。
僕も今年はyoutubeチャンネルを作る年にするぞって意気込んでて、自分で動画コンテンツを作ったり、いろいろな人の動画見て研究したりしてる。
一方で、だからこそ文章じゃなきゃダメな領域が浮き彫りになりそうだなって思います。
僕の中でまだ浮き彫りになってないから何とも言えないんだけど、なんだかんだ文章の歴史って長いし廃れない。
動画の時代だからこそ、文章じゃなきゃダメなことを考えるチャンスじゃないかと思ってます。
文章じゃなきゃダメなこと、を知るためにすべきこと/自己観察
文章じゃなきゃダメなこと、を知るためにすべきこと。
間違いなく自己観察。
自分ならこういうとき文字資料にあたって、こういうとき映像資料にあたる、ということをよく観察する。
言語化が追いついていない状態だけど、自分の中で必ず線引きがある。
例えば最近で言うと、チャイルドシートの取り付け方。これは説明書じゃお話にならない。動画を見たら5000倍くらいわかりやすい(チャイルドシート取り付けてくれたの妻だけど)。
そう考えると料理も、スポーツも、絵を書くこともっていくらでも動画じゃなきゃいけない領域が出てくるんだけど、これを丸っとまとめるとすれば、「自分の体を使ってやること」は動画の方が優れてることが分かる。
文字情報の長所は?
これがわかんないんだけど、文字情報の長所を挙げるとすれば以下の二点になると思います。いやもっとあるんだろうけど、今思いつくのは以下。
- 一覧性
- 遡及性
ちょっとかっこつけて書いたけど、一覧性ってのはそのまんま、ぱっと見で全部見えるってことです。
遡及性ってのは、やはりかっこつけて書いたので妥当なのかどうか不明だけど、パッと戻れるってこと。
例えば歴史とか事件のあらましとか言語の詳しい文法とか、ある程度情報量が多くなるに決まってることに関しては、動画で一つずつ説明するより、壁一面に情報を書いた方が有利な場合がある。
壁一面に情報が書かれていたら、右下隅に書かれてる情報から左上隅に書かれている内容に一瞬でジャンプすることができる。
動画情報だと、そのレベルの行ったり来たりがけっこう面倒くさいんですよね。
wikipediaの内容を動画にして喜ばれるか否か
賛否あると思う、というかこれを言い出したら元も子もないと思うのだけど、Wikipediaの文章は文字だから面白いと思うし、SCPも文字で淡々と綴られているからこそ面白いみたいなところがあると思う。
映像や声になるとあからさま過ぎて自分の内側に没頭できないというか、蓄積していかない感じがある。
こう考えると、受動的で良いと思える情報(ただ見るとか教えてもらうという情報)は動画の方が優れてるし、能動的に得たいと思える情報は文字が良い、という分け方ができるかもしれない。
それらの区別は人それぞれ違うので、結局明確に振り分けることはできないのだけど、やはり確信があるのは、文字情報は廃れないということ。
漠然と思うのは、文字情報を扱うのであれば、詳細精緻な情報量を心掛けることが良さそうだということ。
コメント