自由と不自由に関する逆転の発想!

選択肢が増えると不幸になるって聞いたことがある。

確かに、不自由すぎるのも嫌だけど、選べ過ぎてしまうのも嫌。

携帯の料金プランやプロバイダの契約や保険選びがクソみたいにめんどくさくてもう独占でもなんでもいいから一律にしてくれや!って思うことからもこれは実感として分かる。

僕らは無数にいる異性から自分に相応しい相手を選び(もちろん異性とは限らないし、一人に絞る必要もない)、無限にあるものの中から職業の選択をして(この中に新しい仕事を作るという選択肢もあるし、働かないという選択もある)。

人の数だけある価値観を尊重し、もしくは尊重せず、生きて行かなければならないし、生きていく必要もない。

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どれだけ自由に歩き回れても、「明確な目的」があるからゲームは面白い

ところで、今のゲームは自由度がすごく高い。

例えばオープンワールドRPGなんて呼ばれるものは、その世界観(マップ)のわりとどこでも行きたいところに行ける。好きなだけ寄り道ができるし、行く先々でちゃんとやることがあったりする。

かつての言われた通りに言われた場所に行くだけのRPGとは大違い。歩けなかった場所がマップの大半を占めていた時代とは大違い。

でも人生ほど自由じゃないです。僕らの人生とは違い、行くべきところや目指すべきところは明確に示されている。

だから面白い。だから面白い。

間違っても冒険は向いてないようなので辞めて研究者になります、みたいなRPGは(たぶん)存在しなくて、あくまで運命は決まっているけど、その間べつに何をしても良いのが僕らにとって適切で楽しい自由だ、ということを僕はゲームで学んだ。

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自由と不自由の逆転の発想

「発想の逆転」が重要だという話があるけれど、この、自由に関する認識も、そろそろ発想の逆転が必要なのではないかと思ってる。

例えば僕らは普通、「自由だから」夢を追うのだと考えていると思う。

小説家になりたいとか、ミュージシャンになりたいとか、絵描きになりたいとか。

僕らは自由な時代、自分で生き方を選べる時代に生きることになったから、簡単に○○になりたい、○○で食っていきたいと言えるわけだけど、僕らは本当にそんな「自由」を求めているのだろうか。

本当は作家になる不自由、ミュージシャンになる不自由を求めているのではないか。

作家になる不自由

例えば作家になれば、かなり不自由な生活を強いられることになる。

人々に期待される作品を書き続けなければならないし、締切を守らなければならないし、朝から晩まで小説のことを考え、どこで何を食べていても描写を考え、何か不愉快な会話があっても小説に使えないかと考えることになる。

小説家らしく勉強して、小説家らしく振る舞うことを余儀なくされるだろう。小説家らしいというのはかなり個人の判断に委ねられるけど、例えば着物で暮らしてみたり、脱稿するまで書斎に閉じこもってみたり、そういうことをすることになるだろう。

作家になりたいと思うのは、「作家として生きる」という明確な目的が欲しい。つまり、作家になるという不自由が欲しいと思っている。

その不自由は進化した昨今のゲームの中に残っている、ゲームをゲーム足らしめる重要な要素であって、余計な寄り道や無限に広がる世界地図を贅沢なやり込み要素とするための必須条件だと思う。

明確な目的が一つあればあとは全部些事は面白い

あらゆる出来事が「明確な目的」に収れんして、あらゆることがストーリーの肥やしになって、ただ一直線に行けば味気のない人生の、贅沢すぎるおまけ要素になる。

おまけが充実していればいるほどその物語(ゲーム)には厚みが生まれて、やりがいが生まれて、なおかつ、おまけだからどうでも良かったりするけど楽しい。

旅先でスリに遭おうが、好きな人に振られようが、ちょっとラッキーで宝くじに当たろうが、なんかの間違いでベストジーニスト賞に輝こうが「明確な目的(大事な不自由)」の前には些事であり、大したことがない。

大したことがないミニゲーム(失敗しても成功しても良い出来事)がたくさんあるから面白いというのはゲームにとって大切で、それは人生においても同じだと思う。

人生だって、明確な目的が一つあればあとは全部些事で、ミニゲームに過ぎず、やってもやらなくても良いし、成功しても失敗しても構わない。

それは面白い。ゲームが面白いように大変面白くて、ハマる。人生もそうであって良いと思う。

自らを不自由に向ける不思議な熱量

僕たちに必要なのは自由じゃなくて、不自由なんだ。

全部大したことないと思えるほどの不自由が欲しい。自分が自分をはみ出さずに済むような、一番大事な不自由が欲しい。

それは○○になるみたいなものでも良いし、○○な感じで生きる!でも良いし、○○に行く!でも良い。当たり前だけどクリアしたら次に行っても良い。

現代に生きる僕らにとっての「夢」というのはそういうもので、夢は自由の果てに叶えるのではなく、自由な僕らを不自由に向ける不思議な熱量のことだと思う。

よって不自由を与えるという役割が必要になると僕は考える。

そして僕はある種の人に不自由を与えるほどのことがしたくて「みんなの書斎」を作ってるし、文芸のまちを作りたいと思ってる。

ここは書くしかない、読むしかない。僕の目が届くところでは、書くことが生きることだ、と言えるような場所を作る。

そのために何をすべきかを考えることが今の僕の大切な不自由。

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