衝動的に、良いブログの記事を書きたいなと思うことがある。
今日はまさにそれ。
良いブログ記事書きたい。
良いブログ記事を書きたい以外に書くことがないので今のところ良いブログ記事が書けそうにない。
とりあえずブログへの想いを伝えて今日はお茶を濁す。
自分のブログがかなり好き
こんなことを言えば気色悪く思われるかもしれないけれど、僕は自分のブログがかなり好き。
自分で過去の記事を読み返してうん、良いなって思うことがある。
よく読まれている記事だから良いとか、理路整然としている記事だから良いとか、衝撃的で面白い記事だから良いとか、役に立つ記事だから良いとか、良いブログ記事の指標はたくさんあって、どれも目指してなかなか書けるものではないんだけど、いずれにせよ、そういういろいろある良さを目指しながら、つまりあくまでも善意で以て、向上心を持って作り上げたいという感覚。
世に良さは様々あれど、とりあえず差し当たっては僕のそのときそのとき感じる良さを頼りに文字を打ち込んでいくわけで、これはなんだか雑多な僕の部屋、という感じがする。
その都度欲しいと思ったものを買って、おしゃれだと思ったものを飾って、それなりに感情を込めて部屋を作っていった挙句すごく散らかってしまったり、言うほどセンスがなかったりするんだけど、自分の部屋だから居心地が良いみたいな感覚を、僕は自分のブログに感じる。
ひいき目で見てしまうお気に入りブログ記事
今はまだ部屋という程度の規模だけど、自分の家みたいに思えるようにしたいし、自分の城と呼べるようにしていきたい。
基本的に文字で構成された僕の城。
そういう風に大きく形作っていく方法として、ブログ記事に何を書くべきか?ってことをよく自問自答するのだけど、最近何となく分かってきた。
この分かってきたという感覚は例えば、「餃子を作る」ような状況を思い浮かべてくれたら分かると思う。
餃子を何個も作るとしたら、例えばこの餃子はうまくいった、みたいな感じで、自然に気に入ってしまうヤツがあると思う。
そういうのがブログでも起こる。
作るときは都度それなりに真剣に向き合っているはずなのに、自然にムラができて、思い入れに差が生じる。
思い入れのある、いわば無意識にひいき目で見てしまうヤツ(記事)。
僕は作品について書く、やたら長く書く系の記事をひいき目で見てしまう。頼もしく、その記事がブログ内にあることを心強く思う。
例えば以下の三つがお気に入り。本当はもっといっぱいあるけど控えめに三つ。
羽川翼の話をしよう/「完全に正しい」という異常な個性について
夏目漱石『こころ』「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」の意味が分かるような日
『ファイトクラブ』を読む/君は自分が生きていると心から感じるか。他人の不幸に癒される完全な人生について
こういうのもっと書いていこうと思ってる。
書いてて楽しい、読み返してよく書いたなあって思う記事をもっと増やす。
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