中途半端で分かりにくい人間。オリジナルな個体になれるかもしれない。

近頃ずっと、自分のアイデンティティを定められずにいて苦しんでおりました。

僕は小説のような創作に関心があり、同時にまちづくりに関心がある人間です。

こう書いてしまえばなかなかシンプルなのかなと思いますが、この二つの側面を持て余している僕がブログ記事のような「コンテンツ」を作ろうと思うと、なかなかハンパだなと感じていました。

例えば僕のブログを見て、パッと見僕がどんな人間なのか、人は分からないんじゃないか?

他のブロガーさんのブログなどを見ると、私は○○で、○○について発信します!みたいな感じで分かりやすいなーと思ったりする。

それに引き換え僕ときたら、何が専門、と言って良いのか?がよく分からないし、だからと言って雑記ブログでもないし、という感じ。

次第にもう少し分かりやすく、自分はこういう者だ、ということが分かるようにした方が良いのではないか?と思うようになりました。

それで少し前に 「小説を書くため、まちに執筆環境を整えた男」として覚えてもらうために。という記事を書きました。

「町で小説を書いて、小説で生計を立てようとする男」として覚えてもらおうと思ったのです。

一方noteでは、まちづくりに関心がある人間として分かりやすくなるために「まちづくり」や「コミュニティデザイン」の話題を選んで発信するようにしました。

これでペルソナを分けることができて、それぞれ分かりやすく、書き手のアイデンティティに即した記事が発信できると思ったのです。

しかしダメだった。そもそも完全に分かれているものではないのですから、分けて情報発信しようとするとたちまち書くことが無くなるのでした。

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長いnoteの記事を書いた。創作と田舎とまちづくりに関する大きな視点の

そこで先ほど開き直って、noteで以下のような記事を書きました。

15000字あるのでとりあえずあとで読んでほしい笑


書きに書きました。

頭の中で考えてること。

僕がいかに「田舎と創作」を結び付けて考えているかということ。

未来の理想図。関わった人がまちづくりに参加してしまう仕組み。かつ住人のQOLを向上もしくは維持する仕組み。慈善事業としてではなく、それぞれが自分のために行動することで、助け合える仕組み。

机上の空論と言われればほんとそれまでなのですが、理想図としてよくできてる。

15000字に達する量になってしまったけれど、自分ではよく15000字のまとめたと褒めてやりたい気分。

僕には「大きな設計図」があって、ブログの記事はどれもこの大きな設計図の一部を虫眼鏡で見て、切り取って発信しているという感覚がある。

全体像を伝えるのは難しい。

伝わっても、書いてしまうと荒唐無稽だったり、非現実的だったりするのかもしれない。傍から見ると全然面白くなかったり。

そういう現実が突き付けられるのかもしれない。

それでも書いて良かった。

自分が目指している自分と町の姿が、少なくとも僕の中では明確なビジョンとなった。

その上で僕は何者なのかと考えたとき、既存の言葉で表現することは難しいということが分かった。

このとき、分かりやすく小分けにしてあちこちで通りの良い顔をするのでは結局自分を損ねることになるので、苦しくても自分に合う自分の言葉、自分のアイデンティティにつける名前を探さなければならない。

それはオリジナルの人間だということだ。人々に価値や驚きを与えることができる可能性だ。

正直頑張って書いたけど全然読まれずにへこんでいるのでちょっと過剰気味に自分を勇気づけております。

良かったら読んでみてください。かつ、投げ銭制になっているので面白いと思った方は応援していただけると泣きます。

まだまだ全然表現できない言葉の不便に関する

さてここからさらに屁理屈を言います。

考えてみたら、既存の言葉に当てはまらないもの、説明できないものを説明するのが「創造」ではないか、と思いました。

小説を書くときはいつもそうだ。

悲しいと嬉しいの間とか、ムカつくと好きの間とか、

僕らが普段使っている言葉は実はあまり便利じゃなくて、あくまで最低限共有できる言葉については表現できるし共有できるけれど、感情と感情の間、出来事と出来事の間のグラデーションを表現する簡単な単語はなかったりする。

僕らは自分のことを伝えるために、あまりに多くの言葉を費やさなきゃいけない。

言葉と費やせば途中で興味がなくなって読まれなくなってしまうかもしれないし、費やしたところで正確に伝わる可能性が低い。

便利な顔をして実はあまり融通が利かない言葉を使って世界を構築するのは大変難しい。

で、その「世界」というのはまるまる「自分」のことであって、世界は自分とは無関係にあると思われがちだけど、自分がいなければ世界はない。

自分に名前を与えるとか、自分が何なのかを決めるというのはもう世界を作る行為と言ってよくて、そら生半可な仕事じゃない。

難しいけれど、結局言葉に還元されて、言葉によって固定され、そういう風に僕らの文明は、僕らの複雑な世界はコツコツと作られてきたんだろう。

腐らずに、コツコツと自分の考えを、自分の理想を発信していこうと思います。

頑張れ頑張れ。

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