形骸化する初詣せつない

いなかを観察する

もう年の瀬で、あといくつか寝るとお正月です。

大晦日の夜、地元の友達と連れ立って町の小さな神社に初詣に行くのが恒例なのだけど、正直最近では憂うつなイベントになりつつある。

10代の頃には、夜中に友達と待ち合わせをして神社に行くことがまさにお正月の特別なイベントという感じがして好きだった。

あの頃はまだ神社でたき火をしていて、適当にお参りをしておみくじを引いたらたき火を囲んで今年の運勢を読み読み、だらだらと間延びした夜を、おかしなテンションになりながら過ごした。

いいだけ火にあたって、もうさすがに良心が痛むなというほどの時刻になればたらたらと神社を出て、歩いて歩いて、友達の家を周り、ゆっくり解散していく。

町が自分たちだけのものになった気がしてソワソワする。

仲間が減っていく。

凍てついてギュムギュムと鳴る雪の道の感触にこちょばしくなる。

年が明けたばかりの夜。

寝るまではオフタイムで、まだ何かできそうな気がする。

おとなしく帰って寝てしまって、生白い朝を迎えるのがもったいない気がする。

一人でゲームをしたりして、粘るだけ粘る。

静かな町、いつもと違う時間の進み方をしている。

いつまでも腹が一杯で、眠気を無視している。

そんな大晦日が好きでした。

 

◇◇◇

 

いつだったか友人が車高の低いブンブンいってる車に乗って現れたことがある。

スライドドアを開けると何人か女の子が乗っていて、正月の馬鹿馬鹿しいテンションという感じがする。

酔っぱらった親を模倣してるように見える。羽目を外すとか、そういうことを意識的に目指してるように見える。

不快。重低音と、空騒ぎの声。ハッピーニューイヤーt$!!とか言ってる。

ドン・キホーテみたいなにおいの車。

大晦日は例年吹雪くイメージ。

その中を歩いて神社に向かって、たき火に当たっている間になぜかやんで、帰り道、透き通った群青の夜空に吐息が消えていくみたいな、過剰にキレイな思い出がある。

それが、車で数秒走って神社について、慌ただしく乗り入れて、騒々しく振る舞って、実のところ何一つめでたくないただの夜を荒らしていく、そんな若者の一人に、車を降りた瞬間に思われているようで、居たたまれずに帰る。

 

◇◇◇

 

それからまた何年か経って、みんな良い大人になれば空騒ぎはないけれど車に乗って神社まで走る。

僕の家からほんの500mの距離の神社まで行くのに友達が車で迎えに来てくれて、おとなしく乗り入れて、二礼二拍手一礼をしてガランガランして、おみくじ引いて、縛って、車に乗って帰る。

たき火がなくなったのが大きい。

話すことがない時間の雪を、夜空を、炎を見つめる時間すらもなく、こなれた世間話をして、手続き的な初詣では思い出にならずに終わる。

車だと20秒くらいで家に着く。

それじゃ、今年もよろしく、おやすみ、と言う。

一応毎年のことだからと初詣でのために集まって、おみくじで何を引いたかだけが記録になって、それぞれの正月へ、そそくさと戻っていく。

寂しいなあと普通に思う。もっと一緒にとか、遊びたいとか、そういう言葉にすると強すぎるんだけど、もう少しもったいぶった夜になっても良いんじゃないかと僕は思う。

もう絶対そうならないということが分かるような気がして、初詣でがせつない。

 

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