部屋を片付けるかどうかも興味と関心の問題なのかもしれない

発想と行動を記録する

僕らには「興味のない善」がある、みたいなことを最近はよく考えています。

理性や経験によりそれが善いことだ、とは判断するものの、実際に自分がその善を実行するかどうかは興味のありなし、関心のありなしによる、みたいな話です。

身近なところではどんなものがあるかな、と考えているうち、「部屋の片づけ」をするかどうかも興味と関心の問題なのかもしれない、と思い至りました。

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自分の部屋がキレイだろうが散らかっていようがどうでも良い

人ってなぜかやたら片付ける人と、まったく片付けない人がいますよね。

ちなみに僕はわりと片づけない人です。

それで考えたのだけど、僕は別に汚い状態が好きなわけでも、キレイな空間が嫌いなわけでもない。

自分の部屋がキレイだろうが散らかっていようがどうでも良いというのが一番しっくりくるのです(むしろ散らかってるくらいの方が心地よいかも)。

つまり部屋の片づけに興味や関心が少ない。意外にこういう人は多いのではないでしょうか。

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部屋を片付けない人は散らかった部屋を見てどう思っているのだろう?→どうも思ってない

自分の部屋で、自分一人が使う状態に限り、片づけに興味がないという注釈をした方が良いかもしれません。

誰かを家に招くときは普通に片付けるべきだと思うし、反対に誰かの家に呼ばれてキレイだったら普通に好印象です。

部屋がきれいなこと、散らかってることに対する認識ってのはごく普通だけど、本質的に興味がなく、散らかってる状態が悪で、片付いてる状態が善という判断を、一人の状態ではそもそもしない、という感じ。

親に部屋を片付けられたらムカつく

小さい頃はもちろん、大学生になっても親が自分の部屋に侵入するとちょっとキレイにされていたりしました。

あのときは嫌な感じがしたものです。有体に言えば親に部屋を片付けられるのはムカつく。

こういうことを言うと「それなら普段からしっかり片付けておけば良い」的なことを言われる。そうなのかもしれないけれど、釈然としない気持ち。

この気持ちの正体が「部屋の片づけに対する興味の無さ」にあると思います。

そもそも善悪で判別していなかったところに、「正しさ」を持ちこまれる不快感。

こういうとき「余計なお世話」だと思うんだろう。

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