ふと思ったのですが、「一人にさせてもらえない」という悩みを持っている人がいるかもしれません。
普通僕らが悩むとしたら「孤独」の方だと思います。誰にも分かってもらえないとか、大事なことを話す相手がいないとか、全然誰からも相手にされないとか。こういう悩みは悩みとして成立する。誰から見ても悩みに違いない。
一方で、周りの人が自分を一人にしてくれない、放っておいてもらえない、そっとしておいてくれない、なんて悩みがある人もいるのではないかと思いました。
その悩みの厄介なところは、悩みが悩みとして伝わりにくいこと。そうじゃないでしょうか。
誰にも分からない孤独
身の回りの多くの人に支えられて生きている。みんな自分に親切である。積極的に悩みを聞き入れて力になってくれようとする。誰もが自分に対して優しく接してくれる。
だけどそれが窮屈に感じることがある、放っておいてほしい、自分でハンドルしたい気持ちが強くある。また、口に出し、共有してしまった時点でその悩みや問題は私のものではなくなってしまう悲しさがある。
純度を保った悩みとか、まだ言葉にならないもやもやとか、そういうものと向き合って深く深く内省する時間が与えられないことに絶望感を感じる。
これが口に出せない辛さ、いや、口に出したら分かられてしまいそうな辛さが付きまとって、誰にも分からない孤独がある。
孤独の円盤
ああそうだ、いつかある人に『孤独の円盤』という小説をお勧めしたことがある。
僕の大好きな作品の一つで、はじめて読んだときは痛く感動したのを覚えています。
それがどんな種類のものでも、まだ全然言葉にならなくても、「孤独」を感じている人全員に読んでみてほしい作品でした。
何というべきか、いまいち分からないけれど、僕ら絶対に「自分だけのもの」があると思います。自分だけの神聖な、不可侵な領域というか、押し黙って抱え込んだまま生きなきゃならないようなものが。
「孤独」もその一つだと思うのです。
矛盾する言い方だけど、そういうものを分かち合える人間関係とか、場とか、そういうものを作りたい。
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