「必要はないけれどあれば人生がちょっと良くなるもの」ばかりで僕らのは世界はできていく

はたらくことについて

「必要はないけれどあれば人生がちょっと良くなるもの」の方が、本当に必要なものより多くなっていく。

そしてそのことを認めることが、豊かさだと思うのです。

僕らが生きる上で必要なものはそれほど多くないです。間違いなく、例外なくみんな同じ。

今、目に見えるものを一つずつ点検していってみてほしい。必要かどうかを考えると必ずしも必要ではないものがたくさんあると思います。

そのコーヒーカップに柄は必要?今膝にかけているブランケットの柄をあなたが気に入る必要はある?昨日買った雑誌はこの世になければならない?タバコは?時計は?カメラは?

よく考えれば、全部必要ないけれどあればちょっと良いもの、に過ぎないと思います。

なくたって生きていけるものばかりで僕らは生きていて、極端なことを言えば必要のないものばかり、必要ないものこそを僕らは本気で選んでいる。

必要のないもののうち何を選ぶか、いかに選ぶかによって、僕らは人生や生活を自分のオリジナルのものとして認識しているのではないか。

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ほとんどの人は毎日毎日なくても良い仕事をしている

仕事は大事です。大事なのは、それが必要ないものであって、なくても困らないものであるにも関わらず、「わざわざ選ぶもの」だからです。

「他ならぬ私」がそこにいるというわけです。

誰もが自分の仕事はなくちゃならないものだ、必要なものだと思うかもしれないけれど、冷静に考えれば実際はそんなことないですよね。ないことすら気付かないようなものです。

でもその仕事だって、「他ならぬ私」が情熱を注いでいるものだから必要なのではないでしょうか。

その結果生み出したモノとか作り出したサービスもまた無駄に違いないしなくても良いものなんだけど、ないよりはあった方が良いものに違いないです。

「私」が存在することでちょっとだけ世界が良くなる。そう信じられる肯定感が世界のすべてで、そんな肯定感すら世界の方は必要としていないんだけど、自分自身を含め、何かを必要とすることの繰り返しが豊かさを作っていくのだと思います。

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ちょっとだけ世界を豊かにすることを祈りながら生きられたら

あってもなくても良い仕事がどんどん増えていくはずです。もう数えきれないほどあります。文字を書く仕事なんて最たるものだと思います。

僕らは必要ないけど仕事をして、必要ないものを作って、必要ないものを表現します。

有体に言えば仕事はファッションでしかなくなるし、自己表現でしかなくなるし、デザインでしかなくなる。もしこのまま文明が進むなら間違いなく仕事はぜいたく品になります。

ほとんどのことは無駄。無駄だけど、無駄で満たされることを認めた世界こそが最も豊かだと思います。

だから僕ら自分の仕事だって、もっと言えば自分の人生そのものだって丸ごと、全然必要なく、無駄で、なくても誰も困らないことを認めた上で、だけど自分の存在が、自分の作るものが、ちょっとだけ世界を豊かにすることを祈りながら生きられたら、なんとなく現代的だなって思います。

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