北海道弁の「押ささる」と責任転嫁と自己弁護マインド

北海道弁というのはあまり標準語と変わらず、単語レベルで独特なものがちょっとある程度と認識しています。

とは言え土地が広いですから、地域によっては訛りが強かったりもします。

だから一口に北海道弁を語ることはできないしあまり知識もないのですが、これだけは便利だと思う方言があって、今日はその話がしたい。

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「押ささった」という北海道方言に見る責任転嫁と自己弁護マインド

それは単語ではなく文法で、「本来自動詞にしない動詞を無理やり自動詞にする」というものです。

例えば「押ささる、押ささった」はよく使います。普通「押す」は「○○を押す」のように他動詞として使いますが、「押ささる」という風に無理に自動詞的に使うのです。

間違えてリモコンのボタンを押してしまって、チャンネルが変わってしまったとき、「ごめん押ささっちゃった」という風に使います。

「ごめん、押しちゃった」でも良いのですが、もう一歩「自分のせいじゃない感」が欲しい。

そんなとき、「押ささっちゃった」を使います。

「押すつもりはなかったけど間違えて押してしまった」よりもっと他人行儀というか、押すという行為に自分をまきこまないようにします。

つまり、「押すつもりも何も、ボタンが自分の肘なり足なりで押されていることすら、チャンネルが替わり、自分の身体の下にリモコンがあるまで気付かなかった」とでも言いたいときの言い方になります。

まったく自分の意思とは関係なく、ボタンを押してチャンネルが変わったという結果の責任がまったく自分に帰属しない、とでも言いたげなニュアンスです。

咄嗟に「ごめん押ささっちゃた!」と言います。口で謝ってはいますが悪いとは思っていません(個人差があります)。

責任転嫁と自己弁護のマインドが、本来自動詞にならない動詞の自動詞化という文法に表れています。

町田康『告白』の熊太郎は「耕った」と言った

町田康の『告白』という小説を読んでいて、以下のようなシーンがありました。少し長いですが引用します。

熊太郎はそう言って笑うと、いきなり鍬を振り上げて、がすっ、田に打ち込んだ。鍬は一寸かそこら土にめりこんだ。熊太郎は、ぐいと力をいれてこれを手前に引いた。土が隆起したかと思ったら、ばらばら、手前にこぼれた。

ほら耕った。たがやった、というのは妙やね。耕された。誰が? 田が。田が。田が俺によって耕された。なんか妙やね。通常の百姓はこういう場合、なんていうのだろうか。田が耕すことができた? これもおかしい。中央公倫新社『告白』p183より(太字は筆者)

無意識に「耕やった」という言葉を使ってしまって違和感を抱くシーンです。

熊太郎はなぜこうも、耕らない、のだろう。と思いながら鍬をふるったが、そもそもそこが熊太郎の駄目なところであって、つまり耕すというのは他動詞である。熊太郎が田を耕す。これが正しい表現である。ところが熊太郎は先ほどから、耕やった、耕やった、と自動詞的な表現をしている。もちろんこれは無意識裡にやっていることでだからこそ熊太郎本人も、なんか妙だな、と思ってこれにひっかかっている振りをして目の前の労働の辛さから目を背けようとしたのだけれども、これは無意識裡に、田というものは本来ひとりでに、耕う、ものであって、我々はそのお手伝いをするだけだ、といった甘えたことを考えているからである。

この、耕った、という言葉は労働に対する熊太郎のこれまでの障害が形づくった思想の全力の抵抗であったのである

―後略―同上 p184‐185より(太字は筆者)

「河内十人切り」をテーマにしたこの小説は、大阪府の赤阪水分村が舞台ですから北海道弁とは関係がありません。

しかしこの熊太郎の、本来他動詞として使うべき動詞を無理やり自動詞的に使って、過剰に自分が手を加えることを避けるマインド、引いては責任転嫁と自己弁護のマインドというのはまさに、僕らが「押ささった」と言うときと似ているなと思いました。

微妙な言葉遣いで心もちの部分が表れるって面白いですよね。

北海道弁「○○さる」について余談

「○○さる」って使い方が本当に北海道限定なのか、北海道に特有の方言なのかは分かりません。

他の地域でも普通に使うことなのかもしれないけれど、少なくともイレギュラーな文法だと思います。

他にも「書かさる」とか、「食わさる」というのも聞いたことがあります。

この辺になると若い世代ではあまり使いません。

「このボールペン書かさらんぞ」とか「やっぱり大勢だと余計に食わさるな」と言ったりします。

どちらもじいちゃんが言ってたなあ、ということを思い出して書きました。

「ボールペン書かさらん」は単純に「書けない」という意味で、「食わさる」は「知らず知らずのうちにいつもより食べてしまう」ニュアンスがあります。

どんな場合も責任転嫁とか自己弁護のニュアンスがあるわけではないですが、もしかしたら「食わさる」も食べ過ぎを自分のせいじゃなくするマインドが働いているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

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