星空を見飽きない理由となんとなく生き続けられる理由が同じ

発想と行動を記録する

昨夜 判を押したような生活の中の変化を好む人間 という記事を書きました。

判を押したような生活の中の変化を好む人間
自分は判で押したような生活の方が好きなのだと気付いたのは、オーストラリアで暮らしているときでした。 毎日新しい出会いがあり、新しい土地も自由に冒険できて、それなりに困難とか、感動とかいろいろあったワーホリ生活でしたが、僕は自然に自分の生活の...

それからこの感じをもっと分かりやすく伝えられないかなと考えていたのですが、きっとそれは星空を眺めるような面白さに似ている、という微妙にロマンチックな解に辿り着きましたので書いてみます。

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よく見たら瞬いている(小変化する)星

判を押したような生活というのは言うまでもなくパッと見渡した星空そのものです。

星空は基本的に変わらないものです。

どの季節のどの時間にどんな星座が見えるか、どの星がどんな距離にあるかと言った基本的なことは変わらない。

つまり星は「判で押したような生活」を送っている。

しかし、いざ天体観測をしてみようと思うと気付くことがあります。

例えば星のそれぞれが瞬いていることです。恒星はいずれも激しく燃えていて、この距離からでは分かりにくいけれど明滅や温度の変化を繰り返している。僕らにはそれが瞬きに見える。

これが「判で押したような生活の中の変化」です。小さい変化かもしれないけれど僕らの目を奪う変化。

微細で微妙で、言うなれば「f/1ゆらぎ」の波長をもつ変化。

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ときどき起こる大変化は流れ星

僕らのスケールの目では、星の瞬きは観測できても、ある特定の星が老化し膨らんで消えていく姿や、宇宙空間を高速で移動している様を見ることはなかなかできません。

僕らは星が動いていないように見えます。

今、窓の外からある特定の星に注目して見てみたとして、それが動いているなんて、素直な気持ちを持っていれば言えないはずです。星が動いていることを知っているから動いていることは分かるけれど、動いているようには見えない。

そういう意味でも、僕らは「判で押したような生活を送る」星を見ている。

ところが星空を漫然と眺めていると、急に流れ星が光ったり、人工衛星が目の前を通り過ぎることがある。

僕らが変化を観測できる事象がたまに、ランダムに、かつ規則的に(見える頻度で)起こる。それもそういう大変化は予期していなかったところから発生したりする。人生みたいやないか。

毎年何となく生き続けていて、いろいろあるけどそこはかとなく幸せなことと、星を眺める気持ちが似ている

きっと僕らの人生もこんな感じだと思います。

判で押したような生活を送っているつもりでも、よく見れば微妙に揺らいで瞬いて変化しているし、動いていないように見えても実は常に進んでいる。

ときたま目に映る大変化、明らかな動き、劇的な出来事があるので油断できない。そういう変化があると身構えてみれば楽しさも芽生える。

星空を眺めることに飽きないのはなぜだろうと思ったことがあります。

よくよく凝視したら瞬きがキレイに見えて、視野の端でときたま燃え尽きるくず星があり、小さな変化と大きな変化が絶えず揺らいでいる姿に熱中するともなくしてしまうのはごく自然なことだと思います。

強く強く生きる意思を持っているわけではないけれど、毎年何となく生き続けていて、いろいろあるけどそこはかとなく幸せなことと、星を眺める気持ちが似ている。

 

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