最初にメモ魔にあこがれたのはいつだったか。
僕はラーメンズの小林賢太郎をとても尊敬しているのですが、小林さんがメモ魔だとどこかで聞いたときから、そうかメモか、メモ魔になろうと意識しているところがあります。
僕メモ魔なんですよねって言いたい。
小林賢太郎の例によらず、世の偉人変人成功者はみんなメモをよく取るそうです。
つまり、何事かを成し遂げたくて、一目置かれる存在になるためにはメモ魔になれば良いということです。いいやメモ魔というだけで一目置かれるんじゃないかと思います。
ではメモ魔になるにはどうしたら良いか。
メモ魔になるためにメモを取るのではなんだか手段と目的が逆転しているような気がする人もいるかもしれませんが、メモを取る習慣が身につけば嫌でも結果がついてくるでしょう。
「結果を得るためにメモを取るのではないのです。メモこそが目的なのです」
これはメモ魔になるためのストラテジーの一つと言って良いのではないか。
そう思った僕は、他にもメモ魔になるためのストラテジーがないか考えてみました。メモ魔への道のりはまだまだ遠いですが、メモ小僧くらいにはなれてるかなと思うので思い切ってメモへのスタンスを書きます。
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メモはいつでもできるようにしておくのが最重要
メモの取り方についていろいろ調べると、メモ帳は一つにまとめた方が良いそうです。
メモを一冊にまとめるメリットは、あれ何に書いたっけなというメモを探す手間が省けることや、ある特定のメモを探すために別のメモも見ることになるので思わぬ発見に繋がることがあるというものがあるそうです。
確かにメモ帳を一冊バシッと持っているビジネスマンなんかはカッコいい。
しかし僕はメモは取れればなんでも良い派ですし、メモ帳は一つにしない方が良い派です。
なんせとりあえずメモ魔になることが目的であるから、メモを取る習慣を身に付けなければならないからです。
メモを取るためにお気に入りのメモ帳を買って、お気に入りのボールペンなんかでメモを取れば、汚い字が嫌になってしまうし、メモ帳が手元になければメモを放棄する可能性が上がります。
お気に入りのメモ帳を買うのは、メモの習慣が身についてからで良いのではないか。僕はまだその域にいない。
僕はあちこちにバラのA4サイズの紙を配置してあるので、こうしてブログを書きながらも思いついたことはメモを取るし、本を読みながらもメモを取れます。
あと薬包紙が大量にあるのでメモ用紙にしています。
内容は大したことないです。字きったなくて申し訳ないけど一応公開。
小説を書く上でどんな努力と訓練をすれば良いか考えた。作家になるためのマンダラチャート のメモです。ほぼそのままだけど。
ブログは全部メモ帳にしちゃうつもりで書く
僕ブログは全部メモのつもりで書いてます。
ブログを書くためにもメモは取るのですが、メモの清書がブログという感じです。
メモ魔になるためにはメモの活かしどころも必要ですし、それにはブログが便利です。
多少は人に見られる覚悟で書くのでギリ落書きにはならないし。
役割もほんとメモです。あー昔こんなこと考えてたなーとか、こことここ繋がってるんじゃないかなとか、自分のブログを見返すのも楽しいです。
中には、よくこんなん書けたなみたいなのもあって楽しいです。
僕の中のベストオブよくこんなん書けたなは 羽川翼はなぜ天才なのか。瞑想状態の聖人と凡人なぼくら です。
一日アベレージ15回くらいしか読まれないから世間的に傑作という意味ではないのですが、今書けって言われても書けないという意味でベストオブよくこんなん書けたな記事です。
読む人すげえなって思う記事でもある笑
メモを取るほどじゃないからメモを取ると心得る!
メモを取るほどのことじゃないことって世の中にすごくたくさんありますよね。
しかし、メモ魔ならたぶんメモを取るわけです。メモ魔だから。
メモのためのメモを取っていると言っても過言ではないのがメモ魔です。
メモを取るほどじゃないできごとを、僕らはメモに取りません。
メモを取ろうか、取らないかと考えるまでもなくメモを取らないのです。
メモを取るほどじゃないことについて僕らはもうほとんどその場で忘れており、意識もしておらず、取りとめのないことだと脳が判断して捨てているのです。
だからこそメモを取る必要が出てきます。
脳が取りとめのないことだ、無益なものだとその場で判断したことを、僕らは覚えておくことができない。とても優秀な脳みそのやることですから、取りとめのないものだと判断したことは本当に必要ないことなんでしょう。
生きる上で大した重要じゃないことは冷酷にバッサリ切り捨てるに違いない。
しかし、僕たちはほとんどが生きる上で大切じゃないことこそを大切にしながら生きている不思議な生物です。
つまり、脳が見ないところにこそ僕らが豊かに生きるヒントが隠されているのです。
ホワイトボードは超良いぞ
我が家のキッチンの壁には大き目のホワイトボードが貼ってあって、これは本当によく使います。
一日の予定、次の病院の予定、小説のアイディア、たまに絵。
大き目じゃなくても、小さいサイズのホワイトボードがあるだけでもメモは捗ります。
使ったことないのですが、こんな、ノート型のホワイトボードもあります。ホワイトノートですね。ホワイトノートじゃ普通のノートか。ヌーボードっていうらしいです。良いですね。
ホワイトボードじゃ消えちゃうじゃんって思うかもしれないですが、消えちゃうのが良いのです。
メモを例えばブログに活かそうとかって思ってするとする。
しかし、メモを取って満足してそのままということもあるのです。メモ魔への道ではありがち。
メモは使う、何らかに活かすという意識が、消えるホワイトボードの前では高まります。
ちょっと複雑なメモを取ってしまったとか、ずっと覚えておきたい重要なメモならスマホで撮っておけば良いです。
あと、最大のメリットなのですが、ホワイトボードは消す前提で書くものなので、ちょっと恥ずかしいこととかもメモできます。
良い大人になったら自制心が働いて、ポエミーなこととか書きづらくなっちゃうんだけど、ホワイトボードならすぐに消せるので書けます。
余白は考える余地
ホワイトボート超いいぞっていう裏には、大きなホワイトボードではメモ書きの周辺に余白がたくさんあるという長所があると僕が思っているという事情もあります。
余白がある、まだ書くところがたくさんある。それは脳が拡張する余地だと感じます。
メモとは言え、ぼくらって良くも悪くも完成を目指しちゃうんですよね。僕もそうだったんだけど、メモをちゃんと書いて、見直したときに分かりやすくするべきだとか思っちゃう。
綺麗にメモして、ロジカルな構成とか考えちゃう。メモの目的はメモと言った手前それも良いのですが、かえってメモが続かない。
余白を埋めようとすると、想定内のことをメモに書くことになる。メモがメモを呼び、偶然繋がり、変な紆余曲折があってこんなアイディアみたいなものが生まれる余地がなくなってしまう。
大きなホワイトボード、A4の紙の中央に一言。良いです。
さすがにA4の紙の中央に一言はもったいないなって感じますが、もったいないなって感じ続けることで思い出します。
「あの余白にこれ書けるんじゃないか?」
そんな風に思うことがあるのです。
メモ魔になるためのストラテジーはまだある気がしますが今日はこのくらいにします。
ストラテジー(戦略)は多い方が良いですからね。選べるから。多分今後もっと増やします。
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