田舎の閉塞感と戦う方法

いなかを観察する

田舎に閉塞感がある理由はいくつか簡単に思い浮かびます。

・いっつもおんなじ顔、いっつもおんなじ話

・新しいものができなくて退屈してるくせに新しいものができたら気に入らない

精神の葛藤や逡巡が見下される傾向

・会話は三文ゴシップに走りがち

・アップデートより現状維持に力を注ぎがち

・若い人間が少なく単純に寂しい

などなど。

ここで言う閉塞感ってたぶん精神的な事柄を指すことが多いでしょう。

精神が目に見えない檻の中に閉じ込められている感じ、抜け出せない感じ、押さえつけられる感じ。それらの印象を生み出す要素が、先ほど挙げたようなことにあるのではないかと個人的に思います。

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田舎に閉塞感があるのは本当か?

そもそも田舎に閉塞感がある、のは本当なんでしょうか?

それだってアップデートできる認識なのではないでしょうか?

「田舎の閉塞感」という手垢に塗れたフィルターを持っているから、田舎に閉塞感を感じるのではないでしょうか?

もしくは、「田舎の閉塞感」という言葉を使わずに、誰かが言いだした言葉に頼らずに、具体的にどんなところに窮屈を感じるのかを言語化すれば、それは自分の力で解消したり、回避したりできることなのではないでしょうか?

いやな問い詰め方になっているかもしれません。だとしたら申し訳ない。

でも、このアップデートの面倒臭さとか、億劫さ、もしくはそこはかとなくある抵抗感に負けた結果が「田舎の閉塞感」の正体だと思うのです。

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面倒くせえのなれの果てが田舎

僕ら誰一人例外なく面倒くさがりなんですきっと。

疑わなくても良い物事をわざわざ疑ってみたり、安定しているものにわざわざ変化を加えてみたりするのは大変面倒くさい。面倒くせえのなれの果てが田舎です。

でも田舎は良いです。地に足がついてる感じがします。

何の仕事なのか分からん、みたいな仕事ってとても少ないような気がします。食べ物を作ったり、生活に必要なものを整えたり、そういう仕事が大半を占めていて、流行とか言説とかふわふわしたものに右往左往しない。

人間関係だって確かに硬直しがちだし話題もそんなに豊富じゃない(から噂話に頼る)けど、いつもの顔、知ってる顔が周りにいるのは謎の安心感がある。つまり田舎を受け入れればかなり安定している。

でもそれじゃつまんないんですよね。疑わなくて良いものを疑うとか、安定しているものにわざわざ変化を加えるとか、そういう余計なことって、エネルギーとか好奇心とか渇望感とかそういう若者が有する素質がなければできない面倒臭いことだと思うのです。

そういう余計なエネルギーとか余計な思索とかがいなされる感じ、相手にされない感じ、馬鹿にされる空気が、田舎には実際にあると思う。そういうとき、田舎はダメだ都会に行きてえってなるし、若い人がいなきゃってなる。閉塞感。

田舎の閉塞感は自分で作ってる

だからこそ、「田舎の閉塞感」っていうもういつから言われ出したのか分からない古臭いワードに呑まれず、わざわざ自分で考えて、どこかに風穴をあけることはできないか?と考えてみる必要があると思うのです。

田舎に閉塞感があることは田舎に住んでいる人それぞれが抱えている共通認識みたいなものかもしれません。でも面倒くせえから受け入れているだけかもしれない。みんな嫌々諦めたことかもしれない。面倒くせえに勝てなかっただけ。

田舎の閉塞感がたまらないって言っているのは、口ではその概念を否定しながら、田舎の閉塞感を受け入れている状態だと思います。

「田舎の閉塞感」という言葉が頭に浮かんだり口先に出たり検索窓に打ち込んだりしているその行動が、田舎の閉塞感を作るという皮肉。

面倒くさいけど少しずつ「いつものパターン」とか「いつもの話題」とかそういうものを疑って意識的に崩してみるとか、考えなくても良いことを考えるとかしたら、少なくとも自分の中だけは解放的な田舎が広がるかもしれないです。

僕がブログを書いているのって多分そういう期待があるからかもなって今思いました。

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