「異世界転生もの」が流行するのは日本が面倒臭すぎるからじゃないか論

日本人の宗教観について考えるのがここ数日のブームなんだけど、考えているうちに「異世界転生もの」が流行る理由というか、僕らが異世界に憧れる理由も、日本人の宗教観にあるのではないかと思い至りました。

遠藤周作『沈黙』の映画版『沈黙‐サイレンス』と日本人の宗教観について

『草枕』に書いてある日本人の宗教観

流れは以上のようになりますので、気になる方は除いてみてください。

この記事のテーマは、日本人が異世界に憧れすぎる理由、です。

僕らが異世界に求めているのは、端的に言って「新しい行動基準」なんじゃなかろうか。

なぜそう思うかと言うと、日本教に属する僕らでさえ、「日本めんどくさー!!」って思ってるに違いないから。

日本人の文化に通奏低音のように流れる日本人らしさを規定するあれこれは明文化されておらず、目に見えない空気、耳には届かない声として僕らの心を縛り付けます。

異世界に憧れるのは、冴えない自分の人生に対するアンチテーゼというよりは、日本文化に対するアンチテーゼなのではなかろうかというのがこの記事で書きたいことです。

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ハリーポッターだって「異世界転生もの」みたいなものだ

まず、「異世界転生もの」が人気ジャンルであることについては厳然たる事実です。

小説の投稿サイトは「異世界転生もの」で埋め尽くされていると言っても過言ではない。

流行ってるから書くんだろうし、面白いから書く。

広義のファンタジーですもんね。

中には、冴えない現実からある日突然抜け出して、そこではモテモテ、俺つえーの世界が待ってる!みたいな、作者の願望が見え隠れしている点を指して哀れと取る人もいるみたいだけど、夢を与えるってそういうことだろうしなあ。

自己満足のためというのも確かにあるだろうけど夢があるのは良いことだろうし、それを人に与えられたら素晴らしい。

とは言え自分の理想の世界を他人の夢に変えるのは難しく、難しいからこそ作者の内なる願望が見え隠れみたいに言われてしまうという点は受け入れないとなあ。

少なからず願望とか理想が物語に現れるのは当たり前だと思うけど、それが実作者の内面の吐露としか捉えられないなら確かに創作物として不出来なんだろう。

(多すぎってのはあるけど)「異世界転生もの」ってジャンル自体に難色を示すのは過剰反応っぽい気配がします。

広義のファンタジーって行ったけど、ファンタジーの化物作品である『ハリー・ポッター』シリーズがまさに「冴えない現実からある日突然抜け出して、そこではモテモテ、俺つえーの世界が待ってる!」のお手本ですもんね。

ご都合主義ではなく努力しがいのある設定を求めてる

僕らが異世界に求めるのは、確かに、今の人生とか今の生活とはまるで違う俺つえーな世界なんだけど、重要なのは「こんな世界なら俺だって暴れられる!」っていう雰囲気なんだと思います。

冒頭で「新しい行動基準」を求めてるって書いたのだけど、たぶん、今の環境じゃなければ「許せないものには許せないって声を上げて力の限り叩きのめせる」とか「損得じゃなくて友情や愛情を優先して大事なものを守れる」とか、「時間を無駄にせず一秒一秒成長できる」って思えることが大事なんだと思う。

なんでもかんでもご都合主義で努力せずモテモテのヒーローになりたいなんて思ってる人は多分そんないなくて、心置きなく努力して、自分の力で困難に打ち勝って、身も心もヒーローになりたい。

つまり、結果ではなく設定の変更こそが、僕らが異世界に求めるものなんじゃないかと思うのです。

とは言え、設定さえ整えば俺も本気出せる、みたいな態度が崇高だとは思わないけど、それでも、土台を変えたいという気持ちが「異世界」に繋がってるなら、憧れる理由は分かると思う。

日本教めんどくせい

じゃあ今の日本、現状、現実に備わっている設定の、いったい何が問題なんだろう。

多くの人の心を異世界に向かわせる日本の設定ってなんなんだろう。

それこそが「日本教」に規定される不文律のルールに書いてあることなのだと思います。

『日本人とユダヤ人』の中に「日本教」についての記述が載っているのでここ最近の記事でよく引用させてもらってます。

川端康成氏がハワイの大学で言ったことをお忘れなく。日本では「以心伝心」で「真理は言外」であるのだから。従って、「はじめに言外あり、言外は言葉と共にあり、言葉は言外なりき」であり、これが日本教『ヨハネ福音書』の冒頭なのである。『日本人とユダヤ人』120p

なんか分かったような分からんようなだけど、日本という国の底にある宗教の教典には「人の言うことを信じるな」という明文化されてない一文があるように思う。

例えば僕らは個性を求められていながら、その実従順さや協調や同感と言った態度からはみ出さないように細心の注意を払っている。

出る杭は打たれることを知っているし、出た杭は打って良いと心のどこかで思ってる。

出て良い杭は世間が出ても良いと認めたものだけで、勝手に出てくる杭なんて存在しえない。

無事に出たら出たで「皆様のおかげ様をもちまして」という決まり文句を言わなければならないことからも、「人」ならぬ「人様」が「神様」の役割を持っていることが分かる。

なんにせよ根回しが必要で、なんにせよ了解を得ておかなければならず、なんにせよ独断先行は気に入らぬのがこの国の人。

本当は世界はこうなってる

「こういうのがめんどくせい!!」って思えばこそ、異世界に行きたいと思う。

ここは魔法と剣の世界。

シンプルです。強いヤツが勝つ、優しい人が報われる、美しいものが崇められる。

磨くべき力が分かりやすい。自分が磨きたい力を磨けば良い。

信じられる倫理が学校で教わった通りだ。

人にやさしく、自分に厳しく。困った人は助ける。損得で動くな。

どれもこれも日本教の聖句なのかもしれないけれど、日本で、言葉で教わったことは得てして当てにならないから、言葉で教わったことが役に立たないことが多い。

でもだからこそ、言葉通りに生きて、信じたいものを信じて、それでうまくいくのが一番良い。

実際の世界もそうなっているはずで、だんだんそのことに気付きだした世代が日本についていけなくなっているような気がする。

という話になるとまた逸れてしまうからここでとりあえず終わる。

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