全集を作れるくらい書こう

自分で考える創作論

図書館に行って何となく本棚を眺めているうちに気付いたことがありました。

有名な小説家には全集があって、その執筆量は膨大である、ということ。

当たり前のことなのですが、改めて考えてみるとすごいことです。

いつだったか本棚の前で全集を物色していて、ふと思った。待って、これ全部書いたんだよね? 尋常な仕事じゃないよね、って。

今みたいにキーボードで入力することが主流ではなく、手書きだけなのですから、労力的には今よりずっと大きいに違いない。

厳密には分かりません。慣れの問題で、紙に書く方が実は楽だったりするのかもしれない。

だけどそんな違いは些細なことだと思えるほど、名の知れた作家には膨大な仕事を証明する分厚い全集があって、本棚の一列にどしんと居座っていたりする。

自分の才能がどうとか不安になったり落ち込んだりすることもあるけれど、質を云々するほど書いてるか?と自問すると、いいえまだそれほど書いてませんと言わざるを得ません。

素振りもせず、それどころか数回しかバットを触ったことがないのに打率を気にしているみたいなことを僕はしているんじゃないか?

まずこの量を書けるだけの熱量があるか。仮に現代の方が執筆スピードが上がっているとすれば、この1,5倍、2倍書くだけの覚悟があるか。

そんなことを本棚の前で考えます。

都度、質を云々するのは必要としても、質の点で思い悩んで書き渋ったり、完璧じゃないから見せられないとか失敗だから恥ずかしいとかしてる暇はないぞと。

とにかく書かねばならん。頭の中で考えてること全部、面白そうな香りのするテキストを全部、とにかくとにかく吐き出して、評価されたりなんだりはその後で結構だ、という勢いで書こう。そのとき僕に才能があるのかないのか分かるだろう。

全集を作れるくらい書こう(完)

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