軽蔑されながら生きている

man wearing grey shirt standing on elevated surface発想と行動を記録する
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久しぶりにブログを書く。

子どもが生まれる前までは仕事とブログ合わせて一月に17万字ほどが僕に書ける文量だったけれど、今では手書きとポメラでほんの2~3万字、小説を書くのがせいぜい。

なんだかすごく怠けているような気がする。が!それだけ子どもに割く労力が著しく膨大であるということである。

生活に割く労力はただでさえ膨大。僕の世代であれば仕事(家事含む)、育児が両輪なことが多いんだろうけど、読書や映画鑑賞、ゲームなどは、僕にとり、仕事育児が片付いたら積極的に労力を使いたい準仕事である。

優先順位で言えばこの次くらいにブログを書く時間が来るのだけど、現実には、もっと雑多な労力を割くべきことが圧し掛かっていて、これを疎かにするというのも限界がある。

冬は除雪、夏は庭仕事などがそれ。疎かにできるギリギリのラインまで疎かにしてる。隣近所の雪はもう溶けてなくなっているのにうちの裏にはまだ雪がわりと残ってる。

疎かにしたが故に冬囲いをしなかったから冬囲いを外す作業はどこよりも早く終わった。僕らの間では冬囲いはしなかったのではなく、既に外した、という設定にした。

 

壁を塗り替えないかって営業が来た。我が家の外壁はボロボロ。塗り替えた方が良いことは間違いない。正直壁とか屋根にお金をかけるならもう少し貯金してリフォームしたい。ダウンサイジングしたい。

それこそリフォームでもしない限りここに何年住むか分からないし、もしかしたら別の地域に引っ越すかもしれないし、未来が決めきれないから、壁とか屋根とか、ちゃんとしないと老朽化が進むと言われても、家のことに関して、3年、5年、10年先を見据えていない。

ということは誰も知らないから、壁も「ちゃんとしない」、庭仕事も「ちゃんとしない」、除雪も「ちゃんとしない」と思われてると思う。

加えて僕は身なりにあまり気を使わないので髪の毛は自分が我慢できなくなるまで切らないし、服にも穴があいてる。妻曰く靴も買い換えないとまずいらしい。つまり身だしなみも「ちゃんとしない」。

結婚して子どももいる立場なれば「ちゃんとしない」も大概にしなきゃならないとは思うんだけど、時間があったら本が読みたい、ゲームがしたい、小説を、ブログを書きたいと思う僕は、庭仕事を完璧にするのも、除雪を徹底的にするのも難しい。

ならば人に頼むとか、除雪機を買うとかすれば良いのかもしれないけれど、経済的な余裕もあるわけじゃない。自分でできないならお金で楽をするべきところもそうせず、誤魔化し誤魔化し生きているから、きっと僕は軽蔑されている、と思う。

 

生活に圧迫されて本があまり読めないことに僕は自分に軽蔑を覚える。認知症が進む祖母と話すことを億劫がる自分に軽蔑を覚える。子どもだけでなく猫と十分に遊べないことにも、ブログを書けないことにも軽蔑する。

筆力が下がっている。執筆速度もたちまち落ちてしまった。10年以上かけて自信をつけた領域が失われるのが何より辛く、焦りを覚える。

僕の個人的な優先順位は明確なれど、色んなペルソナがあるから優先順位は揺らいでしまう。自分を優先して積み上げたものは乾いた泥団子のごとくぽろぽろぽろぽろ自壊していく。

他人の目を優先すれば僕は僕を軽蔑してしまうし、自分を優先すれば他人に軽蔑されてしまう。

どちらがマシかと言われればこの答えも自明であり、僕は本来、他人にどう思われてもあまりダメージを受けない。

だけどこうして開き直ると妻に軽蔑されるだろうからそれは辛い。妻子がいて幸せだからこそ他人にどう思われようと構わない思想は強くなっているのだけど、その妻子に軽蔑されれば元も子も無い。

悩みも葛藤も焦燥も尽きない。

もっとブログを書く時間が必要である。

 

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