子どもが泣いてる理由が分からないから自分で傷つけて安心するという虐待心理について考えた

発想と行動を記録する

今日ふと、子どもをだっこしていて考えた。

赤ちゃんが泣いている理由が分からないから、自分で傷つけて(つまり自分で泣いても仕方ない理由を作って)、赤ちゃんが泣くのを見て安心する心理ってあるんじゃないか。

虐待とかのニュースを見ると信じられないけれど、まてよ、そういう心理があるんじゃないか?と泣き止まない子どもをだっこしながら考えた。

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認知的不協和を解消するために真実を捻じ曲げる

認知的不協和を解消するために真実を捻じ曲げる、みたいな話は聞いたことがある。

ええと例えば、ほのかに恋心を寄せていたA子ちゃんにある日彼氏ができたとする。あれ、A子ちゃんと僕っていい感じじゃなかったっけ、と思ってショックを受けるのだけど、まあでも、よく考えたらA子ちゃんってB美ちゃんと比べると顔も可愛くないし、性格もそんなによくないし、言うほど好きじゃなかったな、って思う。

ああ思い出した、ウソップ童話のすっぱいブドウの話ですね。

得ようとして得られなかったものを、価値の無かったもの、自分には不要なものだったと判断する心理。

つまり、起こった真実に合わせて、自分の感情や行動を捏造するということ。

この結果が虐待に繋がったら怖いな、と思った。

赤ちゃんが泣いてる理由が分からないから泣く理由を自分で作る

自分が理解できない現実を目の前にしてもやもやとかイライラとか感じるときに、自分でその原因となるトリガーを作り出してしまうことがあるんじゃないか?

以下のような流れ。

赤ちゃんが泣いている、何か理由があるはずだ、対処する、しかし泣き止まない、なぜだ、なぜだ、分からないけどまるで自分がいじめてでもいるかのように泣いている、何も悪いことしてないのに、どうしてこの子は泣くのか、人を責めるみたいに泣かなくても良いのに。

この感情の流れを正しいものとするために、そうか自分がこの子に意地悪をすれば良いのか、という心理になる。たとえば少しつねってみるとか、身体を押さえつけてみるとか。それで泣くのは理解できる。だって可哀想なことをしていて、無力な赤ちゃんが泣くのは当然だから。

理解できることなら心が穏やかになる。だから子どもが泣く度に少しだけ意地悪をしたくなったりする。

そういう心理の流れはこわいなあ。思いつくということは僕にも少なからずこういう面があるということでもあるし。

泣いてうるさいとか思うことに罪悪感を感じなくて良い

僕はわりと子どもがあんまり長く泣いてたら普通にうるさいなあ、って思います。

ここ、でも少しだけ抵抗があって、最初は泣き声がうるさいとか、そういうことを考えるだけでも親失格なんじゃないかと思うともなく思ってたような気がする。

いやでも良く考えたら自分でかけたアラームでさえイラッとするんだから、あんな大声で泣く赤ちゃんの声で完全に穏やかでいられたり、慈愛を維持したりできなくて当たり前じゃない?と思った瞬間、うるせえもんはうるせえなって思うようになりました。

そうすると反対に「なんでそんな泣くのさ」みたいなイライラやモヤモヤが少なくなった。

自分の感情をそのまま肯定するって大事ですね。

 

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