「くさいセリフ」という言葉を思いついたハイパー共感覚保持者

close up photography of a dog s snout表現力の向上を目指して
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「くさい文章」をたまに読むことがある。

もちろん僕の好みの問題だけど、鼻をつまみたくなるような嫌な文章。

鼻をつまみたくなるとは言ったけれど、「くさいセリフ」のように、言葉、セリフ、文章に「くさい」という形容詞が付く、この慣用表現をしらなければ、僕の力で「くささ」を感じることはできなかったと思う。

だって文章ににおいなんてしないから。でも文章やセリフが「くさい」というのは理解できてしまう。

これは一種の共感覚なのだと思うのだけど、「くさいセリフだな」、「くさいこと言って……」って、最初に言った人はさぞこの共感覚が研ぎ澄まされた人物なんだろう、って思った。

文章に対する感受性というか、文章や言葉を目で追う以上の感性で受け止めている人でなければなかなか思いつかないことだろうと思う。

これは普通に嫉妬。文章に対して感受性が高くありたいと思っている僕は、いまだに僕なりの文章とか、表現を開発するに至っていない。

 

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