人生のモチベーションの変化/ストーリー進行やボス戦よりサブクエストがメインになってきた

発想と行動を記録する

メンタリストdaigoさんのチャンネルで、モチベーション維持の文脈だったと思うけど、僕らには前進してる感覚が必要なんだ、というようなことをおっしゃってました。

ああなるほどな、確かになと思うのですが、これって勉強とか仕事とかだけじゃなく、人生全体の視野でも言えることだよなと思いました。

そんですごく腑に落ちたのが、自分たちの親世代やその上の世代がやたらこちらの人生のステージを上げようとしてくるのって、人生を突き進む原動力として前進してる感覚が必要だって肌で感じてるからじゃないかということ。

もちろん、親世代、その上の世代が提示してくるライフプランはだんだん古くなってきてる。ひと昔前のライフプランはひと昔前なら大抵の人が選んだ道かもしれないけれど、今はもっともっと細分化してきてる。

人生を突き進む原動力、つまり今と昔の「前に進んでる感覚の違い」から、時代の変化を考えてみようというのがこの記事の目的です。ついでに、この時代の変化はゲームの進化とめっちゃ似てるってことも書きます。

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人生のステージとは

「人生のステージ」ってところが若干意味わかんないかもしれないから補足すると、例えば受験して進学、卒業後は就職、就職したら結婚、結婚したら子供、子供ができたら車を替えて、家を建てて、出世して、みたいな、いわゆる「普通の幸せ」を獲得するための段階的な手続きのこと。

次に達するべきステージをそれとなく、ときにはあからさまに示してくることってありますよね。

特に結婚とか、その後の子供とか一人生まれたら二人目とか、本人たちにその気はなくても、なんか「当然次は次を考えてるんでしょ?」みたいな空気で話が進むことがけっこうある。

これって、人生において次にやることがあるってことが原動力になった、そしてそこに到達することで得られる前進してる感覚が人生の幸福度を上げるのに寄与したという経験則によるものなんじゃないかと思うのです。

しかし、繰り返すようだけどかつてのライフプラン設計は古くなってきてる。いうなればおおざっぱすぎる。メモリが荒すぎる。

表面的には誰かとお付き合いしてても結婚を視野に入れないとか、結婚しても子供を欲さないとか、働いてるからって出世を目指さないとか、そういう風に見える。

車を買うことも、家を建てることもしようともせず、一体何を目標に生きてんだ?みたいになるのかもしれない。

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いまは前進する感覚が個人的な感覚に委ねられている

現代に生きる若い人間は、もっと自分の人生のメモリを細かく設定していると思います。

また、「前進の感覚」はもっと個人的な実感にゆだねられている。

例えば僕はブログや小説を書くことで前進の感覚があるし、最近はyoutube動画を作るのも日々を彩ってる。伴って本を読んだり、新しい知識を得たりすることにも。

人によっては外国語の向上とか、ダイエットや筋トレに勤しんでる人もいると思います、料理のレパートリーを増やしたり、スキルを獲得したり、言い出したらキリがない。

もちろんその果てにはこうして、こうなって、みたいなビジョンもあって、大目標や長期目標だって考えてる。

そういうのってほとんどが、それこそひと昔前は人生のサブミッションというか、趣味はないよりあった方が良いよね、資格は持ってた方が安心だよねみたいな認識だったと思うし、それぞれの人生の幸福度を上げてきたと思うんだけど、今はこういう個人的な設定と前進の感覚が人生のメインになってるんじゃないか。

むしろかつて人生のメインだったストーリーがサブミッションみたいになってる。

恋人はいないよりいた方が良いよね、結婚はできるならしたらシャキッとするかもね、子供はできたらうれしいよね、家は建てられるなら建てたいけどよく考えなきゃね。まあめぐり合わせに委ねようかね、みたいな感じではないでしょうか。

ゲームの変化が時代の変化と呼応してる

ゲームの変化と似てるなって思うのです。

昔はある程度みんな、例えばRPGにしても同じタイミングで同じダンジョンを制覇し、同じボスを倒し、同じ目標を達成する、というストーリーを共有してたのかもしれない。

つまり、前進する感覚とか、クリアする感覚とか、そういうものを得るタイミングと景色がみんなだいたい同じだった。もちろんどんな時代も色々な人生があることは分かってるけど、時代の一般としてね、全体的な空気としてね。

対して、今のオープンワールドRPGとかってものすごく自由度高くて、四方八方に道があるし、一応大まかなストーリーはあるけれどいくらでも遠回りができるし、むしろ細かいサブクエストがメインのプレイ動機になったりする(逆に始めてすぐラスボス目指したりもできるものもあるとか)。

ラスボスとか一応終わらせなきゃだから倒すけど別にいつでも良いやってなるし、ストーリーは一応の足掛かりとしてこなすけど決して主目的ではないし、ラスボスクリア後のやりこみが楽しかったりしますよね。

似てないですかこれ、前進する感覚の、時代による変化と。

個人的で小さな満足感と幸福感にあふれてる

今ゲームをしていて、早くボスを倒しに行けだとか、どうしてストーリーを進めないんだとか言われたらうっるせ!ってなりますよね。

そんな誰かの失くしものを探すとか、誰かの伝言を届けるとかそんなのやってもやらなくても良いだろ、早くボス倒せよボス、って言われたら冷めませんか。

メインのボスはよっぽどやることなくなったら倒すよって思うし、ストーリーはサブクエスト全部やったら進めるよって感じ。

今の時代にとって、結婚とか出世とか、車とか家のような大きな買い物をするってボス戦とかストーリーを踏むことみたいなもんだと思うんです。

そりゃ考えてないことないけどさ、みたいな。重要なのもわかるし、それにここでウロウロする潮時みたいなのも一応考えてるけどさ、そんなやんや言われることじゃないんだよって。

細部にこれだけ達成感があるし、どっちが前かなんてのは自分で決めるわ。

今日はいつもより早く記事が一本書けたぞとか、新しいアイディアが浮かんだぞとか、今期のアニメは豊作だから忙しいぞとか、今月は本がいっぱい読めたぞとか、忙しかったけど友達と会えたぞとか、傍から見たら前進でもなんでもなかったり、やってもやらなくても良いことだったり、趣味とか戯れの領域かもしれないことでも、そっちが人生のメインだったりする。

そういう満足度や幸福感に、この時代はあふれてると思う。

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