ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』コンプレックス

ウラジーミル・ナボコフ著『ロリータ』。

「ロリータコンプレックス」という語はこの小説から来ていると言われていますよね。

『ロリータ』における語り手であるハンバート・ハンバートが愛する少女「ドロレス・ヘイズ」の愛称が「ロリータ」。

よって成人男性が愛する少女の象徴としての「ロリータ」です。

ところが「ロリコン」は和製英語です。

「ロリータ」に「コンプレックス」をつけて極端な性志向としてくくるのは日本独自の文化の流れによるもの。派生して「ロリータ・ファッション」などがあるようですが、『ロリータ』における「ドロレス・ヘイズ」っぽい服装というわけではありません。

作中ではドロレス・ヘイズのようなハンバートの性的嗜好に適う少女、つまりハンバートに性的魅力を感じさせる少女のことを「ニンフェット」と呼んでおります。

ニンフェットはハンバートの造語で、定義あるようなので詳しくはWikipedia「ニンフェット」の項目をご参照ください。

ハンバートは僕らの文化と照らし合わせると「ロリコン」に違いありませんが、しばしば日本でマイルドに使われることもある「少女好き」とは一線を画していて、海外及び精神医学の世界で用いられる「ペドフィリア」と呼ぶのが相応しいと思います。

さてしかしこの記事で書きたいのはいわゆる「ロリータ・コンプレックス」もしくは「ロリコン」のことではなく『ロリータ』コンプレックスのことです。

『ロリータ』読み切れねえ、っていう劣等感の話です。

エラそうに「ロリータ」・「ロリータコンプレックス」について語りましたが、なんせ語れるほど詳しく読み込んだわけではないし考えたこともないのでやはりwikipedia「ロリータ・コンプレックス」の項を参考にしました。詳しく知りたい方は参照をおすすめします。

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『ロリータ』には何度か勝負を挑んでいる

『ナボコフの文学講義』は読んだのに『ロリータ』読み切ってないっていうのは、僕にとってかなりのコンプレックスです。

ある日きちんと読まなければと考え勝負を挑みました、というか最初は勝負を挑むつもりなどなく普通に読もうとしたけど何となく撃沈。

二度、三度と定期的に勝負を挑むのですが、どうしても途中から読めなくなり、律儀な僕は都度始めから読むので最初の方ばかりがやけに頭にこびりついています。

ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。下の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。

朝、四フィート一〇インチの背丈で靴下を片方だけはくとロー、ただのロー。スラックス姿ならローラ。学校ではドリー。署名欄の点線上だとドロレス。

しかし、私の腕の中ではいつもロリータだった。

『ロリータ』の冒頭です。非常にカッコいい。ウラジーミル・ナボコフは共感覚を持っており、文字に色がついて見えたと聞いたことがありますが、原書で読むとさらに趣深いものとなるのでしょうか。

日本語でさえ読み切れないものを英語で読めるわけないだろうと思うのですが、読書の秘訣は背伸びと言って良いでしょう。

いつもちょっと読めないもの、本当は全然理解できてないものを自分の一部にしようと虚勢を張るのは、読書を愛し続けるために必要なことと思います。

日本のロリコン文化

やっぱり少し、日本のロリコン文化についても語りたい。

日本ははっきりロリコン文化だと思います。

日本において美人ともてはやされる傾向がある女性は「少女的な美」を持っている、もしくは、損ねずにいるように思います。

だからと言って「日本の男性は世界的に見て成熟してない」と評する人はあまり好きじゃない。

その辺りの真偽についてはとにかく、日本においてははっきりと「少女」の活躍が望まれているし、特にアニメ作品において、少女が果たす役割というのは計り知れないものがあると思います。とても多くの作品が少女を主人公としています。

この点を指して気持ちが悪いと考える方も多いと思いますが、ロリータコンプレックスと同じくらい西洋コンプレックスだって浸透しているところなと思うので、誰も何も言えねえなと思う、というのが行きつくところです。

ただ、『ロリータ』の語り手であるハンバートがすごいなと思うのは、「ニンフェット」に対して並々ならぬこだわりを持っているところです。

漠然とした憧れや、雰囲気によって形成された美意識ではなく、紛うことなき自分の感性によってドロレス・ヘイズを見出した。

冒頭から中盤くらいまでは何度も読んだのだけど、なぜかその先へ進めない。言ってしまえば最後まであらすじは知ってるのに自分で読んでない。

これが僕の『ロリータ』コンプレックス、というお話しでした。

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