導入の目標……マントルケア文化の実現は難しいって話をするぞってことを伝える
今後もっと介護問題が激しく深刻になることを見越して、地域ぐるみ、友人同士で介護に参加する「マントルケア」の文化を作っていかなければならないのではないか、みたいなことを前回の記事で書きました。
個人的には、人同士のつながりとか助け合いとかってあんまり好きじゃなくて、この発想は自分で書いていて非常に苦しいところがある。
なんだろう、つながりが大事、とは言うものの、つながりを目的にしてしまったらダメだろう、という考えのせいで、つながりを尊重できないという点が大きいだろうか。
それにしても、助け合いとか施しあいというのは、言うほど簡単じゃないです。少なくとも僕にとって。
良いことだからと積極的にできる人もいれば、少しの施し、少しのお節介でも「迷惑になるんじゃ……」「気を遣わせてしまうんじゃないか」としり込みする人がいて、この両者では人間関係の作り方が全然違う。
もちろん気を遣わせてしまうんじゃないかと人のことばかり考えているわけでもなくて、憎しみの連鎖が止まらないように、善意の連鎖も止まらない、自分で止めるわけにいかないと思うとプレッシャーを感じて僕にはどうも、しんどいのです、という人もいるでしょう。
僕はこんな感じなので、マントルケアの文化が必要とは言いつつ、その実現可能性はかなり低く見積もっているところがある。
施し施されの関係、助け合いは簡単じゃない
最初の段落の目標……導入の補強、少し具体的な話
→助け合い、施し合いのスタイルがみんな違い過ぎるので言うほど簡単じゃない
いろんなタイプの人がいる。見た目だけじゃなくて、コミュニケーションスタイルとか、愛情の示し方とか、人のために何かをする方法とか、本当に様々だと思う。
複雑な僕らが、あまねく平等に、均等に、助け合うなんてことは、言うほど簡単じゃない。
必ず助けすぎる人がいて、助けられすぎる人がいて、まったくもって不平等を生み、ある領域からそれは「借り」という言葉に置換されるのじゃないか。
「貸し」を作ることに無頓着ながら「借り」を作ることは強く嫌う人もいれば、反対の人もいる。
貸しがあるのに期待通りの返報がなければ気にいらない人もいれば、貸しを作ってしまうとずっと気になって落ち着かない人もいる。
「ギバー」とか「テイカー」とかいうらしいけど、この特性にはムラがあり、意識してテイカーにならなすぎようと思うことも、もっとギバーになろうと思うこともできるだろう。
だけど、やはり根っこから持ち合わせている要素というのはあるような気がして、これらを均すのは不可能ゆえに、マントルケアの如く「返せるものがほとんどなくなったとき」の施し合い、お金を介さない施し合いというのは非常に難しいように思う。
セルフ反駁→そもそも平等でなければならない、という点が間違ってないか?
なぜなら……という話を次の記事で書けるかもしれない
今からできることは施し合いが苦なくできる人同士で固まること?
最後の段落の目標…書き終わること。少なからず解決法を提示すること。
→問題はギブとテイクの不平等にあると自分は考えている
→この不平等を解消する方法は思い浮かばないので、不平等が不平等にならない者同士のつながりを
「マントルケア」は理想だけどやはり制度化するのは時間がかかるし、文化として成り立つには相当の傷を負う必要があるに違いない。
正攻法でマントルケアのごときやり方と向き合わないのだとすれば、今からできることは「一緒にいても」「世話をかけても」「なんでもシェアしても」構わない、むしろそれが喜びというのとは違う、普通となるような人同士で固まるという方法がある。
つまり、貸し借りとか不平等とか、そういうことをほとんど意識しなくて良い関係。
今のうちに僕らがすべきことは分け合ってストレスにならないもの同士の結びつきを探すことなんだろう。
それがかつては家族という設定だったのだろうけど、時代の変化、世代差、そういうものを乗り越えるのは難しく、家族というだけで一緒にいなくてはならない枷もしくはしがらみとして見なされることの方が多くなってしまった。
地域も同じで、隣同士、ご近所という地縁の結びつきだけで助け合うのには、僕ら色々な違いに対して自覚的になり過ぎた。
未来を考えると、縦のつながりよりも横のつながりの方が僕には重要に思える。
横というのは、趣味、思考、哲学の地平が同じという感覚という意味。おおざっぱに言えば価値観というものが一致しなければ、分け合うとか助け合うという行為はうまく続くもんじゃないと思う。
じゃあその価値観の核とでもいうべきものは何なのかってことを僕はずっと考えていて、具体的には7年くらい考えているのだけど、その答えはまだ出ないし、それを頼りにコミュニティを築くことにも異様な難しさを感じている。
次回以降の記事で考えること
→施し合いの不平等は必ずしも問題じゃない、という論を書いてみる
→この記事で言う横のつながりについてもっと深掘りする
→横のつながりで成り立ったコミュニティという単位で福祉に参加するというアイディア
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