「結婚は墓場」と言うけど、悪く考えることはないと思う。

コミュニティ・メカニズム

「情けは人の為ならず」とか、「天は天の上に人を作らず、人の下に人を作らず」みたいに、何となく反対の意味に誤解されていたり、続きが省略されているばかりに本当の意味が伝わりにくくなってたりする言葉があるけど、「結婚は墓場」もその類かもしれない。

「結婚は墓場だ」という一見ネガティブな言葉も、落ち着いて続きを聞いてみたら意外と意味が全然違うものなんじゃないだろうか。

例えば以下のような風に考えたらどうだろう。

「結婚は墓場だ。よって、よく対話すること、小まめに掃除すること、花を添えることが大切なのである」

来月(7月)入籍するのですが、まだ絶望よりは希望の方が大きく、不安よりは楽しみの方が多いから浮かれてこんなことを書くのかもしれないけど、浮かれて書いているのだとしたら初心を忘れないためにもこの記事は有効なもののように思う。

何を書きたいのかと言うと、「結婚は墓場だ」って言うけどそれって本当は絶望を込めた言葉ではなく普通にアドバイスで、お墓を敬うように丁寧に場を保っていきましょうねくらいのことなんじゃないか。

そもそも僕は墓場が好きなのです。無性に惹かれるものがあるのであります。

こんなことを言うと「うへぇ」みたいなリアクションをされるのだけど、僕にとってお墓って散歩コースの一つで、夏場は本当によく行ってお参りします。

だからと言ってわざわざよそさまの墓所や霊園に侵入したりはしないけど、お墓という場所そのものはそれでもやっぱり好きです。

飛行機やロープウェイで上から見るときとか、車で道を走っていても少し小高いところにお墓があったりして、そういうのを眺めるといつも不思議な感覚になる。

怖いものや場所が好きとかそういう感情とはまた別で、お墓のあの空気というか、墓石の亡くなった人が集められて埋まっているサインとしての存在感とか、惑星外生物が見たら本当に不思議なところに見えるだろうなと考えると架空の惑星外生物の思考とリンクしてすごく変な気持ちになる。

この星に住む知的生命体はなんでまたあんな不思議なものを作るんだ?って思う。あれ意味ある?って。

ただ、『桜の樹の下には』という作品で「桜の樹の下には死体が埋まっている」と書いてあるように、死という概念もしくは死者を思う気持ちには凄烈な美みたいなものが備わっていると思うし、その感性は人間の中では割と普遍的なものなんだろう。

さてそんなわけで「結婚が墓場だ」というのであれば、僕としては全く抵抗を感じるところではないのであります。

結婚は墓場だよ。

だからやるべきことは、小まめに対話すること(コミュニケーション)、掃除すること(環境の保全)、花を添えること(彩り)。

もちろん、墓場と言うからには死を見つめる場所でもある。

墓場と言えば聞こえは悪いかもしれないけれど、そこは全然汚らわしい場所ではなくて、死を見つめ、生を感じることで身を引き締めたり、心を安らかに保ったリする精神の充電場所のような気がする。

家がそんな場所だと良いですよね。

 

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