官民一体のまちづくり/「まち」という場に呑まれない重要性

いなかを観察する

「まちづくり」をテーマに書き続けているブログですが、「まち」という場に呑まれないことに気を使うべきだと考えています。

「まち」に呑まれないってどういうことかよく分からないと思います。

例えば、基本的に僕は「官民一体となって」という文言に対して否定的であり、「まち」のようなスケールで人々に知られるのは危険だと思う、という話です。

「まちづくり」とは言え「まち」という言葉を介さない必要すらあると思います。今後便宜的にですら「まちづくり」という言葉は使うべきではないかもしれません。

これは感覚的な話ですし、僕が住んでいる地域だからこその考えかもしれず、決してこれから書く考えがいつも正しいと思っているわけではないです。

しかしこと自分のことに関しては、「まち」という場に呑まれないようにすることが重要なのではないかと考えています。

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「まち」という言葉を背負うことで個性が消える?

「まち」という大柄なフィルターを通過するとき、人は「まち」の倍率(スケール)で物事を見ることになります。そうなればたちまち個性とか、実感と言ったものが消え去ってしまうのではないかという恐怖があります。

いつかの記事でも書いたけれど、個性は近づけば感じるし、遠ざかれば消え去るものではないでしょうか。

例えば、誰でも「あの人は本当に変わってる」と思う知人や友人が一人や二人はいるもので、身近にいる人は個性的に見える。

少し俯瞰して、倍率を挙げれば、たいていの人間は「よくいる人」「クラスに一人はいるヤツ」でくくることができてしまいます。

個性はありやなしや、が僕の意見で、つまり「個性的になる」ということは、「誰かに近づく」ということではないでしょうか。

そういう意味で、それがたとえ「まち」のためにやっている活動だとしても「まち」という概念の言葉で大柄なスケールでものを見ることを強いてしまうことを自ら背負うことに利点はないと考えます。

これはある程度普遍的な考えだと言っても良いかもしれません。

官民一体の取り組みは濃縮還元オレンジジュースを作るようなもの

自分が住む地域を顧みて、ごく個人的な感覚で言えば、「まち」を介す、つまり市や自治体と言った官的なモノゴトを通すのはオレンジジュースを作るようなものだと最近よく思います。

濃縮還元100%オレンジジュース。採取したオレンジをまとめて、成分を取り出し調整し、味や色のムラを無くするようなこと。濃縮還元の意味が本当にこれで合ってるのかどうかは置いといて、言いたいことは伝わるでしょう。

せっかく自分の家で、自分の庭の土でできた世界唯一のオレンジなのに、それが良いオレンジだとか言われて一度「中央」的なところに預けると、濃縮されひとしなみに還元されて、個性もクソもない味にされてしまう。

このようなことが、地域では起こりがちだと僕は考えています。

もちろん、個人の気持ちとかこだわりとかが上手に活かされながら「官民一体となって」という理想がかなえられている地域もあることは分かっているけれど、こと僕の暮らす地域に関して言えば、誰にとっても違和感のない「よくある形」もしくは「形だけ」に均されてしまう可能性の方が高いと踏んでいます。

コミュニティスペース「旧佐藤医院」のことで言えば

何だが取りとめのない話をしてしまったので例を出して終わりにします。

例えば、僕らは家族でコミュニティスペース「旧佐藤医院」の運営をしています。

つまり今は完全に民間で行っているこのスペースの運営ですが、もっと個性的な場所とするために、まず民間を貫くことが重要だと考えています。そしてもちろん、そのまま「誰かに近づくこと」も重要です。

誰かの実感となり、記憶となって初めて個性が生まれると思うからです。

そういう意味で、市や自治体のスケールで見たときの「古い建物の保存・活用」と、民間が、もっと言えば個人(塚田さん)が建物を保存活用のために頑張ってる、とでは微妙な、いや微妙どころではない差が生まれるのではないでしょうか。

さっきの濃縮還元オレンジジュースの例えじゃないけれど、「コミュニティスペースの使い方を自分で考えてもらいたいワケ」という記事で書いたような理念?の純度を保ってもらえるかというとおおいに懐疑的です。

「コミュニティスペース」という言葉も使うべきではないかも?

何だか自分が住む自治体の悪口を書いてるみたいになってしまいましたがそんな意図はありません。念のため。

それに建物の維持活用に市の助成を活用している、というような取組みを否定しているわけでもないです。これはもうまったく。あくまで僕らの活動、この地域では、現状そう考えるという話でした。

単に自分から安易に大きな概念(「まち」とか「市」とか)を背負わないって大事なんじゃないか、ということが言いたかったのです。

となれば「コミュニティスペース」とか言う言葉だって本当は使うべきではないかもしれませんね。

 

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