他人のことを考えるフリして自分のことばかり考えるバカ、まちづくりと文学を考える

まちづくりを考える

まちづくりがしたい。

僕には自分の身近な、ごく限られた環境をこうしたいという、わりと明確なイメージがある。

欲望をありのままに開示すれば、僕は浮世離れした空想的な世界で、時間や人目を気にせず生きたいと思っている。そういう存在であることを許されたいと思っている。そういう環境を作りたい。

本を読み、書く。たまに外に出て新しい刺激を受けたらまた書く。食料を探して森へ入るように、書きたいことを探すために外に出て、人と話し、それを何の役にも立たない空想に落とし込む。

それが集まった図書館を作る。ある洋館の二階、今は物置だけどなかなか広い一室を使わせてもらって、でたらめと馬鹿々々しさ、感傷と不気味さ、爽やかさと陰険さが整然と並んだ、まるでみんなの頭の中みたいな図書館を作る。ここでしか読めない本を並べる。かなりローカルな文学大系を作りたい。「まちづくり文学」?ダサいか。ダサいな。

結果的にどう収まるかは分からないけど、その空想で人の役に立とうとか、誰かの心の一部に住み着こうとか、そういうことは考えてない。うそ。考えてる。本当はめっちゃ考えてる。

その図書館の中で誰かが楽しんでくれたら良い。少しでもワクワクしてくれたら良い。入り浸ってくれたら良い。それから薄暗くなった頃に外に出て、夕日に照らされた空とカラスの鳴き声で、そう言えばお腹空いたなって現実に引き戻されたときの時差ボケみたいな感覚を、僕のまちで味わってもらえたら嬉しい。

映画館や芝居小屋から出た途端にお腹が空くあの感じを、まちに作れないだろうかって考えてる。

その感じを人に認めてもらえたら、僕は多分かなり満足する。その感じが作れたらきっと、何人かは僕のまちを好きになる。そうしたら僕のまちづくりはちょっと成功する。

この頃にはぼくが想像したまちの一角に、それなりの価値が生じるんじゃないだろうかっていう計算高さが光る目論見もある。

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セーフティネットとしてのまちづくり

ゴールはこの一点で、そのためにまちづくりに関するブログを書いてる。

ゴールがこの一点なので、結局は自分のことしか考えてない。他人を自分の欲望を満たすために利用しようとしてる。

他人に認められたい想像があるから、仕方なく他人のことを考えてみたりもする。

例えば、まちはセーフティネットでなければならないと思う。

身体とこころのセーフティネット。

寝泊まりするところがある。野菜がたくさんなってる。

空いてる部屋使って良いよって言いたい。野菜も食べなよって言いたい。お金無くてもまあ死にゃしないよ、肉は…ジンギスカンで良ければあるよ。どれも無限に提供できるわけではないけど。まあ大丈夫だよ。これが身体のセーフティネット。

でもただ生きられるだけでは満足できないのが人間で、最低限の生活じゃやっぱり惨めさを感じるのが人間だと思う。人に生かされているという状況はプライドが傷つくと思う。

一方で、そんな惨めさや不甲斐なさを認めることができるならよくデキた人間。それもできずに今の自分はこれで良いのだと意固地になって、頑なに自分を変えようとしないのもまた人間だと思う。

この、停滞という名の破滅へと向かうこころの働きを救うセーフティネットも必要だろう。

自分が世界を良くしてる感覚、誰かに必要とされている感覚。たぶん、アイデンティティが認められると感じられる状態なんだろうなと思う。

だから僕は誰かを必要としたい。身体を休める対価としての感性が欲しい。そして僕の空想である図書館に肉付けをして欲しい。

だから、僕はかなりせまい範囲の人を想定してこれを書いています。

僕の図書館に肉付けができる人。小説家を目指している人。小説じゃなくても何か書く人。自分の書いたものを人の目に触れる場所に置いておきたいと考える人。筆力を上げる合宿をこっそりしたい人。そもそも創作に浸る時間が欲しいと考えている人。マンネリしたときに、新しい刺激やアイデアを生み出せる場所を欲する人。(もっと欲を言えば、まちを創作でうめたいからそれに付き合ってくれる人)

もしこういう場所が必要な人がいたら、僕のまちを使ってほしい。僕はそういう人をまちに呼ぶことで、オリジナルの図書館を作るという目的を達成して、まちづくりという創作をしたい。

身体を休めることができるまちに、こころを満たすまちづくりがあれば、きっと身体もこころも満たされる。

だからまちにはセーフティネットが必要で、そのセーフティネットを作ること自体が面白くなければならない。

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人のこと考えるフリして自分のことばかり考える僕のバカさ

これは僕の話。惨めさや不甲斐なさを認めることができず、自分はこれで良いのだと意固地になって、頑なに自分を変えようとしない。

食う寝るに加え、自分が世界を良くしている感覚、誰かに必要されている感覚が欲しいと思ってる。

今は食う寝るに困らないけれど、それだけじゃ満足できない。浮世離れしたいとか言っていても、大好きな彼女と普通に結婚して、奥さんと二人、淡々と現実をこなしたいという気持ちもあるけど、それがうまくできない自分を認めるのが怖くって、空想にしがみついている。

第一、誰かの身体を救うことだってまともにできるのだろうか。確かに寝る場所も畑もある。だけどそれを与え続けることもできないクセに、何らかの対価が無ければ困る癖に、住み着いた猫ならまだしも、一丁前の人間を鷹揚に迎えることができるだろうか。

だからこれも半ば空想でしかない。どうしよう。どうしたら良いか。

でもこんな空想が現実になって、誰かがこのまちを好きになってくれたら、僕の存在価値は上がり、きっと自信になると思う。

自信があれば何かが開けると、漠然と都合の良いことを考えている。

だから僕は人を救いたいとか口で言いながら、自分が救われることばかり考えている。

人のことを考えているフリして自分のことしか考えていないバカが、浮世離れした余裕シャクシャク人間になれるはずがないじゃないかって思ってへこむ。

利己主義と利他主義が絡み合って一本になっている

でも、そういう空想を現実にして、将来が不安でも大丈夫だとか偉そうなこと言って誰かを安心させてみたい。

これも対象はすごく狭い範囲の人を想定している。人知れず小説を書いている若い人。こんなことしてどうすんだろう、プロになんてなれんのかなとか不安になりながらも、手が止まらない人。これも僕のこと。

本当は僕の将来が一番不安なんだけど、小説を書いて人の役に立てるのだろうか?という不安を払拭できる場所を作って、偉そうに、大丈夫だよって早期リタイアして浮世離れした人みたいな顔で言ってみたい。

そんな言葉のそれぞれに説得力を持たせるために僕は自分のまちづくりがしたいと思っているけど、それが自分のためなのか、他人のためなのか、もう分からない。

結局純粋には他人のことなんて考えてなくて自分が一番なんだろうけど、自分だけが大事か?と言われればそんなことはなくて、不特定多数の誰かのために生きたいという気持ちも本当にある。

最終的には、小説家や文筆化を目指す人だけではなくて、迷っている若い人が落ち着ける場所になったらなと思う。そこはかとなく希望のある場所になったらなと思う。

あざなえる縄の如く、利己主義と利他主義が絡み合って一本になっている。

ナチュラルにもうちょっと頑張ろうって思えるようなまち

最後に少し虚勢を張って、自分がやらんとしていることを自己肯定させてもらえるなら、たぶんこういう割り切れなさとか、矛盾とか、葛藤を救うのが文学とかものがたりなんだと思う。

自分と他人をうまく切り離せず、他人は自分のためにいると考えたかと思えば、自分は他人のためにありたいと考える自分はちょっと変だ。

そう言えば、「自分のことばかり考えるバカ」とか自己否定的なことを書いておきながら、こうしてここに書くことで暗に他人に肯定を求める姿も気持ち悪い。

ああ気持ち悪いと思ったら自己嫌悪で全部消したくなるけど決して消さない変なプライドもあってほんとなんなんだおれはって思う。

でもたぶん僕らみんな、こういう類の「自分への不信感」とも言うべき部分を少なからず持ってる。「他人への謎の信頼感」も持ってる。多くの人はそれらを天秤にかけて、バランス良く生きているんだと思う。

でもこのバランスは崩れやすい。バランスを保とうと考えると息もできない。

なかなか割り切れず、正しいも間違ってるも分からず、信じきれないものばかりで、全然さっぱりと生きられないけど、そういう覚束なさを受け止めて、納得への道を与えてくれるのが文学とか、ものがたりなんだと僕は思う。

そういうもので満たされた場所を誰かと一緒に作って、僕は自分を納得させたいと考えているし、誰かに納得してもらいたいと考えている。

いまはこれを手伝ってくれる人がいたらなと考えながらこれを書いているけど、最終的には色々な悩める若者が集まる場所になったら良いなと思う。

人生なかなか割り切れないし決めきれないけど、まあ騙しだまし、ナチュラルにもうちょっと頑張ろうって想えるようなまちをつくる。みんなが、僕も、安心して自分の人生を歩めるような、セーフティネットとしてのまちをつくる。まずは文で。ものがたりで。

ちょっと抽象的すぎるかもしれないけど、これが今言葉にできる目標です。

この目標が誰かに応援されるように頑張る。

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他人のことを考えるフリして自分のことばかり考えるバカ、まちづくりと文学を考える(完)

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