「慣れ」と「だれ」は違う。だれた文章を書いてないか。

自分で考える創作論

中学の頃の国語の先生がよく「慣れとだれは違う」と言っていたことを思い出しました。

当時はウザったい説教という印象でしたが、大人になるとふとしたときにこうやっていただいた言葉が響いてくることもあるものですね。

ちなみに「慣れだれ雪崩=去れ」という劇団四季に伝わる訓戒?があることは随分大人になってから知りました。

先生がここから拝借して僕らに発していたのか、ご自身で発された言葉なのかは判断しようがありません。

いずれにせよ肝に銘じて良い言葉のように思います。

僕の場合、その文章、だれてない?ということ。

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文章がだれる。だれると気持ち悪い

言うまでもなく、文章がだれることはよくあります。

僕は一日1万字書くことを目標として生きており、小説、お仕事、ブログ、noteで分配しています。

一日で1万字の小説を仕上げてしまうと他のこと書かない計算になってしまうので、一日1万5千字くらいまで書いて平気なようになるべきです。

そんなこんなでブログ記事とかnoteの記事は、今はほぼ毎日更新しています。

小説や仕事で書くことと比べるとそれらは気安いのです。それでお金もらってるわけじゃないし、結論なんかなくても良いし、文字数だって決まってるわけじゃない。

楽な方に逃げるので、結果的にブログやnoteの更新頻度は上がるという状態。

もちろん、どれも情熱を持って書いているつもりですが、気持ちの面では慣れが生じ、気分によってはだれてしまっています。

だれているときは誰よりも自分が自覚できるもので、腹に力が入っていないというか、文章に力が入っていない状態が分かります。気持ち悪いものです。

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だれた状態の脱却法

でも「だれ」の状態ってどうすれば脱却できるのでしょうか。

その点を考えます。

だれって、精神の問題じゃなくて脳みその問題ですよね絶対。僕はそう思う。集中しているかどうか。脳みそが「つまんなーい!」ってだだ捏ねてる状態です。

だれを脱却する方法=脳みそを喜ばせる方法で良いのではないか。

3つ心上がりがあります。

  • 目標を上げる
  • いつもと違うことをする
  • 嫉妬する

目標を上げる

文章を書く上での目標の立て方は多岐に渡ります。文章を書く生活の良いところですよね。

例えばタイムアタック。時間を決めて、30分以内に記事を上げると考える。

PV重視。書きたい記事じゃなくて、読まれる記事を書くぞと考える。

文字数制限。短く書くぞ、無駄なことを書かずに簡潔に。

このように、ちょっと難しい目標を一個かかげて、それを達成することだけ考えると集中力が上がるのと脳みその回転が上がります。

いつもと違うことをする

目標を上げるとほぼ同じなんですが、目標を上げなくてもいつもと違うことをするだけで書き味というのは違うものです。

僕は毎日午後から書き始めますが、あえて朝一でブログを書いてみるとか、反対に夜中に書くとか。

スマホから更新してみるとか、立って書くとか、とにかくいつもとちょっと違うことをするとそれだけで脳は喜ぶようです。

嫉妬する

嫉妬心に飲まれやすいのであまりやりたくないです。というか嫉妬は放っておいてもしてしまうのですが、良いエネルギーになります。

人の良い文章を読むと嫉妬する、面白い小説を読むと嫉妬する、注目を浴びている人を見ると嫉妬する。自分にできないことができる人を見ると嫉妬する。

嫉妬心は醜いものですが、だれてるなーって思ったときはあえて嫉妬する対象を見てがんばるぞいっとすることがあります。

嫉妬しすぎると反対に何も手につかなくなるので取扱い注意ですけどね。

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