夏目漱石『吾輩は猫である』はなぜ面白い小説になったのか

『吾輩は猫である』は、果たして面白い小説なのか。

真っ向からそう問われると返事に窮してしまいます。

確かに、猫の視点による、猫の語りという趣向そのものがユーモラスで、面白いには面白い。

「吾輩は猫である、まだ名はない」という冒頭も非常にインパクトがあり簡潔で素晴らしいと思う。

だけど、話の内容が特別面白いかとか、何度も読みたくなるとか、そういうことは特段ないように思う。

僕にとって一番好きな作品というわけではないし、もう正直に言ってしまえば退屈と言っても良いかもしれない、と密かに思っている。

現代のエンタメと比べると面白いわけではないけれど、教養として面白い小説として扱う必要があるように感じる作品、という感じがする。

しかし、誰が何と言おうと『吾輩は猫である』は面白い小説で、日本を代表する重要な作品であることは間違いない。

僕がどう思うかは関係なく、『吾輩は猫である』は面白い小説として日本の文学の世界に定着している。

それはどういうことか、『なぜ吾輩は猫である』という作品は評価を受けているのか。

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『吾輩は猫である』はなぜ面白い小説になったのか→『吾輩は猫である』は読みやすかった

結論を先に言えば、『吾輩は猫である』は当時多くの国民にとってとても読みやすい作品だった。

吾輩は猫である

僕はこれに尽きるのではないかと思いました。そのように説明されるのがもっとも僕の腑に落ちた。

読みやすく、内容もユーモラスで、すらすら読めた。だから「面白い小説」として日本中の人々に読まれた。

そのからくりは、『吾輩は猫である』が意識的に日常で国民が使っている口語で書かれた作品で、新仮名遣いの普及も目論んだ作品だった、という点にある。

「現代に生きる僕たちもすらすらと読める近代文学」のはじまり、と言って良い作品だった。

『日本語を作った男 上田万年とその時代』という本を参考にしました。参考にしました、というか受け売りです。

夏目漱石の誕生の裏には、日本国民に共通の日本語、つまり「国語」が必要だという強い信念を持っていた上田万年という人物がいた、という本でした。

これまでの二葉亭四迷などが書く講談風の「言文一致」でなく、猫がしゃべる日本語は、読みやすく、おもしろいというので、大変評判になった。この調子で、漱石がもっとおもしろいものを書いてくれれば、これが日本中に広がって、新しい口語表現の新仮名遣いが普及してくれるに違いないと思っていたのだが、……ここで鴎外が出てきてしまった……。

僕も特に詳しいというわけではないので間違いがあるかもしれませんが、上の文章に多少解説を加えながら、日本の文学がどんどん読みやすくなっていく過程を追ってみようと思います。

そして、それ以前の小説に比べ、もしくは口語的な表現よりも文語的な表現を大事にした作家に比べ、夏目漱石の書いた小説がどれだけ読みやすいかということに驚いてほしい。

僕は、普段使っている「国語」はこんな風に文学を通して教育されたものなのだな、ということを知って面白かった。

僕らが使っている国語の普及に夏目漱石が一役買っていたんだな、ということが分かって面白かった。

言文一致と小説の近代化の流れ

「言文一致」というのは夏目漱石が小説を書くよりずっと前から試みられていることでした。

言と文を一致させる。つまり、普段話しているように文字を書く。

言文一致と言えば二葉亭四迷の『浮雲』が有名で、これが先駆けのように感じますが、もう少し根本を辿ると坪内逍遥がいます。『当世書生気質』が有名です。しかしこの作での言文一致は失敗に終わりました。

坪内逍遥が近代に相応しい文学の実現のために推し進めた言文一致の実現が、二葉亭四迷などにより一応達成された、ということになります。

しかし、それでも僕らが思い描くような、読み親しんでいる小説とは少し違う。青空文庫へのリンクを貼っておくのでそういえば読んだことないなあ、という方はぜひちょっと冒頭だけでも覗いてみて欲しい。

浮雲

講談風、と言われるのが分かりますよね。講談師がいて、紙芝居かお芝居を見るように小説が展開していく。

『浮雲』は明治20年頃に書かれた作品ですから、言文一致運動自体は『吾輩は猫である』よりもずっと前から始まっていました。

しかし、話の型のようなものはまだまだ近代化しているとは言えなかった。

二葉亭四迷の浮雲もまだ講談話感があって、近代的な小説とは言いがたい。

もう少し時代を進めて明治30年頃に書かれた小説で有名なものは、例えば尾崎紅葉の『金色夜叉』などが思い浮かびます。

金色夜叉

美しく、優雅な文体。「雅俗折衷体」という、この時期特有?の文体です。

美文体で書かれた地の文を読むことができます。

とは言え、尾崎紅葉は写実性に富んだ描写をし、僕らが小説と聞いて思い浮かぶ小説らしい構成で物語を書きました。いくらか近代化した文学、という感じもする。

ただ、読めないことはないけれど、僕らにとってはやはり少し読みにくく、取っつきにくい印象があります。そして読み切るのが辛い。

森鴎外と文学の近代化

さらに時代が下って、明治40年頃、ここで森鴎外の話になる。

先ほど引用した文では「ここで鴎外が出てきてしまった……」と書かれていますが、この言文一致からもう一歩進んで、旧仮名遣いも漢文訓読も読みにくいから、新仮名遣いへ移行していこうという状況で、森鴎外は猛反発をしたのでした。

森鴎外が『舞姫』を書いたのは明治20年代ですから、40年代の作家とするのは違うのかもしれませんが、文学の近代化という切り口で考えたとき、夏目漱石と対というイメージがあります。

夏目漱石がそれまでの文語から離れて、国民の誰もが読める作品を書こうとしていたのに対し、森鴎外はそれまでの日本語での語りを大事にした。

いつの時代も言葉の進化を乱れと見なして嘆く人はいますが、森鴎外もその一人、というか筆頭。

手元にある『近代文学史必携』という小冊子に「言文一致」の項目があり、以下のように書かれています。

文体の口語化はしだいに一般化し明治四十年前後には近代文学の制度として確立されていったが、もちろん従来の文体の保有するリズムやレトリックの美が消滅するはずはなく、とくに明治文学においては森鴎外、幸田露伴・樋口一葉・泉鏡花らの文体に明示される通りである。p81

森鴎外の文体も良かったらちょっと覗いてみてください。40年頃ではヰタ・セクスアリスがあります。

ヰタ・セクスアリス

森鴎外は旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)を捨てることには反対していました。

再び『日本語を作った男 上田万年とその時代』から引用します。

「歴史的な仮名遣いは、語源とも深い関係がある」と鴎外はさらに大きな声で言いはじめている。
言われなくても、そんなことは分かっていると、万年は思う。
「地」の発音は「ち」である。だから「地面」と書くときには「ぢめん」と振り仮名をつけるのが正しい。しかし、「ぢ」と「じ」の発音のくべるは、もう江戸時代中頃からできなくなってしまっている。「じめん」と書くのは正確に言えば間違いだろうが、発音をもとにした書き方でよければ「じめん」と書くのも認めた方がいいのではないか。
鴎外は、しかし、「間違い」は間違いであって、間違いを認めてしまうことは、決して許してはならないと言う。p17

このように、言葉を変えるというのは大変なことでした。

しかし、こと小説に限った話をしていますが、少しずつ文体が変わり、現在のような姿に近づいていきます。

この流れの中で、夏目漱石の『吾輩は猫である』は特段に読みやすく、国民の言語感覚にすんなり溶け込んだことが予想できる。

面白い、と感じた人がたくさんいた。

国語の成立にとって重要な作品で、夏目漱石は重要な作家だった。

夏目漱石がかつての千円札の肖像に選ばれた理由

最後に、夏目漱石が1000円札の肖像だった理由にも何となく納得したので蛇足ですが書いて終わりにします。

夏目漱石は日本屈指の文豪でありますが、現代日本語、つまり僕らが知っている「国語」を作った功労者でもあります。

「国語」というものを形作り、広く国民に定着させるのに必要な、国にとっての重要人物の一人。

また、夏目漱石が用いた日本語が国民に親しまれたからこそ、彼が新しい時代の国語をけん引する作家となったという点も見逃せない。

面白かったから広まった。

つまり人気、知名度、文化的な功績のいずれもが、夏目漱石には備わっていた。

だからこそ、かつて1000円札の肖像にも選ばれたのだと僕は理解しています。

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