村上春樹『職業としての小説家』の冒頭の話が狂おしいほど好き

村上春樹の『職業としての小説家』を読みました。というか読んでるところです。

冒頭で小説家ってプライド高いし人格的にもちょっと社会から浮いちゃうみたいなところあるよね。でも縄張り意識は低くて、排他的なところはあまりないよね、みたいな話から始まります。

その話題の中でスカッと救われたような気分になった箇所があるので引用します。

そして僕も含めてたいていの作家は(だいたい九二パーセントくらいじゃないかと僕は踏んでいるのですが)、それを実際に口に出すか出さないかは別にして、「自分がやっていること、書いているものがいちばん正しい。特別な例外は別にして、他の作家は多かれ少なかれみんな間違っている」と考え、そのような考えに従って日々の生活を送っています。

この文章を読んだとき、スゥーっと気持ちが軽くなるような気がしました。二つの意味で。

一つは、「自分がやっていること、書いているものがいちばん正しい。特別な例外は別にして、他の作家は多かれ少なかれみんな間違っている」と思うことは普通なんだ、と思えたこと。

もう一つは、翻って考えれば、自分が書くもの、書かんとしているものが正しいと心の底で思えることは作家としての素質があるということかもしれない、と思えたこと。

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タバコの煙を顔に吹きかけられたみたいな憎しみの感情が湧く小説があるという驚き

つまらない小説を読んで感じる嫌な気持ちにいつも辟易していました。

いや、つまらない小説も下手くそな小説も別に何とも思わないけれど、架空の話というただ一点のみで小説と言い張るような文字列を見せられたときに感じる不快さ、タバコの煙を顔に吹きかけられたみたいな憎しみの感情が湧いてくることに、驚きに近い気持ちがあったのです。

もちろん、同じ経験を他人にさせているかもしれないという可能性については理性的に思いやれるのだけど、自分には顔をしかめて退散したくなる文章があるということについて、少し異常を感じていました。

自分で言うのもなんだけど温厚な僕が、自分でもびっくりするくらい攻撃的になることがある。

それはもしかしたら作家や、作家を志す人なら持っているべきもので、持っていてもおかしくないものなのかもしれないと思えば、おかしな自信にもつながるのです。

だからこの冒頭の話が狂おしいほど好き。勇気づけられる。

小説を書くことじゃなくて、単純に誰かが小説で評価されてたりすると気に入らないんだろう

ところが、『職業としての小説家』では、小説家は縄張り意識が低くて、少なくとも誰が小説を書き始めようととりあえずは、どちらかと言うとあたたかく迎え入れる傾向があるよね、というような話が続きます。

この点はもしかしたら僕は村上春樹が考える作家像とは異なるのかもしれない、と思うと、だから僕は作家として活躍するの無理なんだー!ともなりました。一喜一憂しすぎてアホですね。

誰かが思いつきで書いてみた小説がある程度評価されたりすると悔しくなります。

そもそも僕は小説家という舞台(村上春樹は誰でも気が向けば参入できるプロレスリングみたいなものと例えていました)で待ち受ける側じゃないから余裕がないし、多分自分より切実じゃない人が小説をパッと書いて小説ですって言うから黒い気持ちになるのだと。

でもそんなこと言ったら思いつきで書いてみた小説でデビューした村上春樹を否定することになりますよね。

だからもっと有体に言えば、小説を書くことじゃなくて、単純に誰かが小説で評価されてたりすると気に入らないんだろうな、と。嫉妬がひどい。自分が安定的に評価されるようになれば気にならなくなるのかな。

そりゃいつもじゃないし、素直に面白い好きだって思うこともたくさんあるけど、不の感情の激しさが、小説においては強い。

いずれにせよもっと精神的に余裕を持ちたいから早く評価されたい。ほんと素直すぎることを言ってるかもしれないけど。

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