面白い小説を書く方法

自分で考える創作論

結論を言えば、「とにかく出し惜しみせず、全力で書こうぜ」みたいなことを書きたいです。

全力は絶対に誰かと釣り合って、面白いと感じる人がいるから、という話です。テクニックの話はできない。

こう考えるようになったのには、以下のような背景があります。

面白いってなんだろう?って考えたとき、それは「自分にとってギリギリ分かるか、ギリギリ分からないくらいのものを見たとき」だという説が僕の中で一個浮上しました。

何でもそうだと思う。自分の力量と同じくらいのもの。勝負をするとしたら、一勝一敗一引き分けかな、みたいな相手と戦っているときが一番楽しい。クイズとかもそう。

あ、じゃあ面白い小説を書きたいなら、自分の本気をぶつけるしかないじゃないか、今持ってるものをぶち込んで総攻撃するのが良いんじゃないか、と思ったわけです。

そうすると誰かに出会える気がする、ってこのあたり根拠が乏しいけど、とにかくそう思った。

てかトレンドとか対象とか考えるより、かえって「全力で書く」の方が楽で楽しいのでは?

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脳みそグルグルを共有する

面白さって僕は、自分の外にあると思っていたのです。

「面白い」っていう概念は既に世の中にあって、うまくそれを見つけられた人が面白いものを作れるんだって。

だけど少し考え方が変わって、今は「面白さはそれぞれの中にしかない」と思うようになった。

自分の頭が発火し燃焼している間、人はその起爆のきっかけになった対象を見て「面白い」と感じるのだと。

つまり、「面白い」のはそれぞれの頭の中であって、端的に言って「俺は今面白い!」という状態があるだけ。

俺を面白い状態にしてくれるこのマンガすげえ、であり、この映画すげえであり、この小説すげえなんだ、と思いました。

自分の外にある漠然とした面白さという錯覚を追って、それらしいものをなぞるだけでは、面白いものに辿りつけない。だってそこに自分が全力を傾けて脳みそグルグルした痕跡がないから。

自分の脳みそがグルグル回って興奮してギリギリ辿りつけるくらいの代物を誰かと共有して初めて、やっと誰かに面白さを提供できるのではないか。

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とは言え全力を出すために、日ごろの準備が必要

僕の場合小説を書いているときに一番「面白いものを作りたい」と感じます。

だけど、出し惜しみというか、流すみたいな感覚があるような気がする。

前回目標タイムで走れたからまあ今回もこんなペースで行きましょう、みたいなところが小説を書くときにあった。次の作品は今日中に書いちゃいたいなあ、みたいな。

とは言え全力を出すって結構難しいもので、やろうとしてできるかと言えば話は別だったりします。

だって「全力でやろう」みたいな精神論だけで面白い小説が書けるんなら、今日思い立って書いた小説が超絶面白くなるはずじゃないですか。

でもそんなことはない。急に全力疾走なんてできないし、これが今の俺の全力だって言ったって多分誰も納得しないです。

いや、ストレッチするだけでもう少しマシになるでしょ、やってないじゃん、うぉーーって言ってるだけじゃん、てか走るときに叫ぶのをまずやめろ、みたいにガンガン言われて終わりだと思う。

全力を出すために、日ごろの地味なトレーニングが必要なのも、例えばマラソンとか、そういうスポーツと照らし合わせてみれば分かると思います。力を振り絞るにも、トレーニングが必要なのだ。

小説を書く場合で具体的には、例えば「ここの描写は正しいのか?」を疑ってちょっと検索して実物の写真を見てみるとか、実際に体験した人の話を聞いてみるとか、つまりちょっとしたリアリティをなあなあにしないで書く、みたいなこと。

例えばなんだか読み心地が悪いな、良すぎるなと思ったら声に出して読んでみるとか、作家の技能を本気で盗みに行くとか。

何をどう高めようと思うかは人によるけど、「いつもちょっと面倒なこと」をやるようにすると、「妥協しながらやるだけやる」みたいなことが減っていって、「全力を注ぐ」ということに対して精神論だけで立ち向かわずに済む。

全力を出すためのトレーニングの段階を見せられる

今恵まれているのは、そのトレーニング段階さえリアルタイムで見てもらうことができるということです。日々のランニングを見てもらえる、日々の素振りを見てもらえる。日々の苦悩を見てもらえる。推敲のあとを見てもらえる。

僕ら、全力を出そうと思ってだせないですよね。

でも逆に出すつもりないのに出てた!みたいなこともある。

「あ、俺いま限界超えてたわ」「乗ってるわ」「いつもより真摯だわ」「ちょっと気付いた感覚あるわ」みたいな瞬間があって、それはきっと誰かの頭の中にある「面白さ」に届いて、面白いと思ってもらえる可能性がある。

もちろん見てもらわなきゃいけないという話でもないですが、そういう瞬間を共有できる可能性がある今の時代って面白いなあと思う、というオチです。

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