読んでいる間ずっと面白い小説について考えてる。
リアルタイムでは見てなかったのだけど、プライムビデオで『大豆田とわ子と3人の元夫』を見た。
見ている間ずっと面白かった。見ている間ずっと面白い小説ってのもこういうことだよなって思った。
見ている間ずっと面白い。会話がなくても目線があって、動きがあって、デザインがあって、音楽があって、注意力が途切れる瞬間がない。ストーリーの良し悪しじゃない、じゃないって言うと語弊があるのかもしれないけれど、例えばある回で大豆田とわ子が究極の選択をする、から面白いのではない。
サスペンス性とか意外性とかどんでん返しとかそういうストーリー上の悦びや仕掛けを指して面白いと言うのではなくて、ただ大豆田とわ子が生きている、3人の元夫に絡まれる、そのこと自体が面白い。何を話すからとか何が起こるからとかじゃなくて、ただ存在が面白くて目が離せない。
生きていればそりゃ色々ある。『大豆田とわ子~』においてストーリーってその程度でしかなくて、本当は大豆田とわ子と3人の元夫がご飯を食べているだけの番組でも僕は満足すると思う。
小説というもので僕が求めているのもこういうことだと思った。
キャラクターに魅力があるとかでもなく、設定がユニークとかでもない。でもないと言えばやっぱり語弊があるし突き詰めればそういう要素に落ち着くのかもしれないけれど、それはストーリーと同じで「要素」でしかなくて、すべての要素が牽制しあったり引き立て合ったりする「場」というか「状態」「空気」「雰囲気」そういうものを好ましく思う。
読んでる間ずっと面白い本は好きな音楽に似ている
じゃあ読んでいる間ずっと面白い小説って具体的にどんなのだったかと言うと、実は枚挙に暇がない。
というか極端な話、読んでる間ずっと面白い小説じゃなきゃ読み切れないみたいなところがあって、読み切れた小説はほとんど例外なく読んでる間ずっと面白い小説だった。
もちろん言うほど極端じゃなくてあんまりおもしろくないなーって思いながら読み切った本もあるし、読んでたらだんだん面白くなってきた小説もあるにはあるけれど、いずれにせよ、面白くないし面白くなりそうもない小説を断念したこともものすごく多い。
これは僕にとって、という意味であって、その小説が悪いものというわけじゃなくて、僕の体調とか、今考えてることとか、単純に好みとか、そういうものが原因になっていることが多い。だから読み返してみたら面白かった本もある。
これって何に似てるかと言うと音楽とかに似てると思う。
好きな音楽ってずっと聴いてて気持ちが良い。別に興味がない、自分に向いてない音楽はイントロからサビから終わりまで、ずっと何も感動しないまま終わってしまう。
音楽ならそういう自分に合わないものはただ聞かないだけなのに、小説となるとなんだか読み始めたからには読まなくちゃとか、最後まで読んだら面白いかもみたいな気持ちが強く出てしまって、なかなか諦められないみたいなところもあって、「自分に合わない、やめよう」って判断ができるようになったのはここ最近。
生来的な魅力を知らしめることに力を注ぐべきか、注意を引き付ける技術を研究するべきか
読む場合のことはとりあえず置いておくとして、自分がそういう読んでいる間ずっと面白いものを書けるだろうか?って考えたとき、二つの極端なことを思った。
一つは、ずっと面白いってことは、例えばその人の声が好きだからずっと話声や歌声を聞いていられるとか、顔が好きだからずっとそばにいられるみたいなもので、持って生まれたものが自然に好まれるのだから、余計なことは考えず、ただ自分の個性を、つまり持っているものを垂れ流し続け、それに生来的に合う人を見つけるべき、という考え方。
もう一つは、『大豆田とわ子~』のような映像作品だったり、今まで読んだ、見ている間、読んでいる間ずっと面白い小説に施されている技術や仕掛けを分析して、どこでどんな風に工夫されているから注意力を途切らせることなく最後まで見てもらえるかを研究し、少しずつ実作に生かすというもの。
前者は怠け者論であり自分に才能があると己惚れなきゃできないことで、後者は普通に大変だけどこういう技術的な部分を考えるのって結構好きだし、もしこの辺り言語化できたら誰かの役にも立つのではないかという目論見もあって、軍配は後者にあがりそう。
ここまで考えて、これってyoutubeの動画づくりみたいな場面でも同じだよなって思った。余談だけど。
例えばタレントなどの動画は、別に面白くなくても良い。工夫を凝らして凝らしてどうにか視聴者の注意を引き付けようと考えなくても、その人の生来的な魅力だけで大方の人よりは見てもらえる。質問に答えたとか何か食べただけで成り立つ。
一方無名の人間はどうにかこうにか企画とかサムネイルとかワンカットワンカット工夫して工夫して、サービス精神を100%発揮して、どうにか注意を繋ぎとめなければならない。
何においても僕は後者だな。暗澹たる気持ちになってきた。しかしやるべきことは分かってきたようだ。
コメント