暮らしを考えることは、バランスを考えることかもしれない

発想と行動を記録する

僕が抱く悩みのほとんどはバランスの問題だということに気付いたかもしれない。

僕が悩むのはいつもバランス。バランスが取れていないときに生じるのが悩み。いや、バランスを気にしすぎて突き抜けることができないことも悩みになるからバランスをどの程度取るべきか?というバランスについても考えてて、その辺になるともうコントロールできなくない領域な気もする。

バランスの話をします。

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生活のバランス/仕事とプライベートのバランス

身近なところから考えると、食事のバランスは普通に気にします。みんなそれなりに気にすると思う。健康のことを考えてとかじゃなくても、麺類ばっかり食べてたらソワソワするくらいのバランス感覚はみんな持ってるはずですよね。

もう少し視野を広げると仕事とプライベートのバランス。仕事にどれくらい時間を割いて、プライベートにどれくらい時間を割くのが僕に相応しいか。

これはもう少し複雑に展開して考えることができます。仕事のうちどれくらいを今日明日お金になる仕事に費やすのか、どれくらいを5年後のための仕事にするのか。

プライベートの割り振り方も難しい。インプットとアウトプットの割合とか、自分の時間と家族の時間。自然との付き合いもある。どの程度の時間と労力を畑や庭に費やすか、冬は畑も庭も放置で良いけれど、除雪の時間が現れる。

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仕事と書くもののバランス

僕にとっての仕事はほとんどが書くこと。

書けばお金になる仕事をどれだけするか、書いてもお金にならない(こういうブログ記事もそう)仕事をどれだけするか。

最近では書いてお金を得られる仕事が無いので、思い切って書いてもお金にならない内でも特にお金にならない小説の執筆に大半を費やしました。これもバランス。

精神的にはブログ記事や小説を書いている時間が豊かなので、書いてお金を得られる仕事は今後最小限にするか、肉体労働でお金を稼ぎ、運動不足を解消しつつ好きなことを書くのが僕にとってバランスの良い生き方なのかもしれないと思いはじめています。

この辺は手探り。もう少し歳を取る頃には体力も落ちるだろうから、本当に書きたいことを書くだけでお金を得られるようになれたら良いですね。そうでなくても色んなことでお金稼げると良いですね。でもお金を稼ぐことばかりに時間を費やすのもバランスが崩れて嫌だから、できるだけ楽に稼げることを考えるのも大事だろう。

楽に稼ぐと言うと「そんなうまい話はない!楽しようとすんな!」って頭ごなしに言う人がいるけど、ここで言う楽っていうのは、バランス良く、良い気分で、という意味で楽に、ということです。

まちづくりの内向性と外向性のバランス

僕のライフワークと言っても良いまちづくりに関してですが、この辺りも僕はよくバランスで悩みます。

例えば内向性と外向性のバランス。

まちづくりとか言っておいて何なんだけど、地域が盛り上がれ!とかあんまり思ってないんですよね。僕は人でにぎわっているお祭りとかイベントとか苦手だし、社交の場ってめちゃくちゃ避けるタイプです。

でも「まちづくり」とか「コミュニティ」とか言っちゃうと無条件に「繋がり」とか「賑わい」がゴールと思われてしまって窮屈な思いをすることがある。

どんどん広まっていけば良いですね!とか悪意なく言ってくれる方もいて、そうですねって答えるけど内心そこまで広まって欲しくないと思ってる。けどそう思う自分に罪悪感があったり。

かと言ってこうして外に向かって発信していることからも分かる通り「つながり」や「にぎわい」を完全に否定しているわけでもないのです。

届くべき人に届いて欲しい。人とは出会うべくして出会いたい。でもそんな理想を実現するためにはまずどんどん広げなきゃ、まず知ってもらわなきゃってのがあることも分かる。そのジレンマ。

情報発信に関する地域の人と外の人のバランス

僕は完全に「外の人」に向かって情報発信をしているつもりで、地域の人に対しては必要以上に情報を届けていないという自覚があります。

これも僕なりのバランスの取り方で、まず地域の人に理解してもらおうと思うといろいろ考えることが小さくなったり良くも悪くも分かりやすくなってしまう気がしたのでけっこう意識的に避けてました。

だんだんコミュニティスペースとか民泊のこととかが雑誌に載るようになってきたり個人的にお話しを聞きにきてくれる人が増えたりして、少しずつ外堀が埋まり始めているという感覚があるので、もしかしたら内側の人の理解を得る努力をしても良い頃合いなのかもしれません。これもバランス。

 

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