「みんなが一丸となる」って気持ち悪い。

まちづくりを考える

全体が一丸となってとか、構成員の意思統一を図るという感覚が苦手。

まちおこしや何かの運動で、地域住民が一丸となって…みたいなことを聞くと第一印象として、必ずしも素晴らしいとは感じられません。

むしろ気持ち悪いと感じてしまいます。

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一丸になってとかって学校祭思い出す

目標に向かってみんなでというスローガンは、小さい頃から馴染みのあるものだと思います。

本当に幼いときはみんなで頑張るでよかったかもしれません。今思えば子どもの頃の僕らなんか動物と変わらなかったから、先生の言うこともみんなで聞いて、集団で動く良い子になれれば良かった。

だけど中学・高校生くらいになるとだんだん物心がついてきて、他人というものを意識出来るようになり、翻って「自分」というものがはっきり芽生えてきて人間ぽくなる。

むしろ自我が芽生えた方が意思統一とか一丸となるのは困難だから、小さい頃から教え込まれたスローガンはどんどん難易度が上がっていく。

学校祭なんかどこの学校にもあると思うけど、クラスが一丸となることを要求される感じが僕は苦手でした。学校祭より当時は部活の練習(野球部でした)の方が大事だったし。

そんなこんなで大体学校祭の行事に本気なのは全体の三分の一程度で、残りは大人しくしてたい人だったり、ただ通常授業が減ることが嬉しい人だったり、他のことで一生懸命で学校祭を邪魔に思っていたりする人で構成されているものだと思う。

とにかく言うことを聞いてほしいと思ってる誰かが一丸になるとか言う

「みんなが一丸となる」って聞くと、「とにかく言うことを聞いてほしいと思ってる誰か」がいるんだな、と思ってしまいます。

だから反発心が生じてしまうのかもしれません。とにかく嫌いな言葉の一つです。

一見すると「みんなが一丸となる」というのは素晴らしい響きを持っていて、協調は美徳のようにも感じますが、協調性の無い立場からすると、それが美徳のように響く分、気味の悪さが際立ってしまいます。

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