成功したい方法で成功したいって強情は捨てない

発想と行動を記録する

漠然とした「成功」が世の中にはある。

条件はたとえば、儲かっていること、発言に説得力があること、人に愛されていること、賞賛されること。

成功したい、と漠然と思うとき、きっと僕らはこういう「成功像」を自分の未来に思い描いている。

何より、「成功している」と他人に思われたい感情がある。

成功の功とは仕事の成果や手柄のことを指しますが、なんとなく世の中では、「何らかの仕事や使命を成し遂げたい」と考えるより、「とにかく成功するための手段を探している」フシがあるのではないか。

そういう感情を考えると、なんだか以前にも出会ったことがあるような、以前にも何か変だな?と思ったことがあるような、そんな気がしたので、少し顧みてみようと思います。

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学生の内に彼女が欲しいとか、就職先を早く決めたいとか

自分が成し遂げたいことを見事に達成したいのではなく、成功したいという感情が先にあり、成功できそうなことを探す。

成功したければ○○をしろ!とか、成功したければこんなスキルを身に付けろ!なんて情報がたくさんあって、僕らは簡単にこの手の情報に翻弄される。成功する、という目的のため、その手段をインスタントに取りいれる。

この空気には以前も出会ったことがある。例えば高校3年生の頃、部活も終わって残りの学生生活をさてどうすっぺってときに、彼女を作って遊びたい、という感情が芽生える、ってか爆発する。

好きな人と付き合うというよりは、彼女になってくれそうな人を探したりする。

もしくは、大学生の頃、単位は順調に取得し、卒業が視野に入り始める。同時に就職の二文字が頭から離れなくなる。

やっと学問を修め、社会に出るというタイミングで、かねてからこんな人になりたいとか、こんな仕事をしたいと思っていたことではなく、就職できそうなところを探す。そういう人が溢れる。

この感じ。恋人を作るためのハウツーや、内定をゲットするためのハウツーが溢れ、僕らはそれに翻弄される。

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僕らは早く上がりたい

「早く上がりたい」という感情が強くあると思います。

早く、惨めなままでいる今の状況から降りて、高みの見物を決め込みたい。

自分の身の周りの、小さなコミュニティ内でちょっとした優越を得て安心するため、もしくは、その時代、その世代のメインストリームに居続けるために、僕らは心から欲していることや、こころからしたいことより、もっとも手っ取り早く確実な、世間が定める成功像を選ぶ傾向がある。

高望みして失敗するのも怖いし、こだわって取り残されるのも惨めだから、世間や他者が羨望する型に自分を当てはめようとする。

世間に認められれば満足だし、周辺から羨望のまなざしを受けれればそれなりに自尊心は満たされるからそれで良い。

僕らの弱いこころ。

強情に頑なに、成功したい方法で成功しなければ成功じゃないと言ってのけて良い

だからって自分の本当の望みを貫けとか、心から成りたい自分になれ、本当にやりたいことをやれ、ってのが乱暴で独善的な空気を放つことも分かる。

それに、仮に自分が手に入れようとしているものが自分から沸き立ったものでなく世が定める成功像だったとしても、それを欲する自分は妥協しているつもりなんかないし、心からそうなりたいと思っているのだから、嘘なんてついてないというのも分かる。

それはちょうど、「付き合えそうだったから付き合った人だけどお互い好きになったから付き合った」という出来事が起きたとき、その「好きさ」は片思いのあの子を好きだった気持ちより下等だとは言えないことに似ている。

では何が言いたいかと言うと、もし、自覚できるオリジナルの成功像があるのであれば、もし社会が要請する成功像とマッチしないという気分があるのなら、怖くても、たまに惨めな気持ちになろうとも、強情に頑なに、成功したい方法で成功しなければ成功じゃないと言ってのけて良いのではないかということ。

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