夕張に現れた「清水沢コミュニティゲート」を知っているか

まちづくりを考える

文化的な営みに焦点を当てる地域が多くなってきたように思う。

何か観光客がわんさか集まるビジネスをしよう、とにかく何かで名を挙げよう、というよりはむしろ、その地域の内側にある暮らしや会話、長い時間をかけて培った文脈や歴史というものの価値を大事にしようという考え。

体外的なサービスの展開というビジネスライクで装飾的な響きよりはもっと内向的な、例えば心臓の脈動に意識を向けて、体温の源のようなものを感じたいというような志向。

ずっとずっとあった考えかもしれないけれど、ここ最近は特にこんな価値観のシフトが顕在化してきたというか、はっきりきれいごとでも何でもなく「金より人だろ」「外面より内面だろ」っていうモットーが、社会で大事にされる時代なんじゃないかと思う。

愚直さや素朴さや優しさといった、しばしば社会では「不器用だ」と笑われがちな性質がもっとも合理的に働く時代なのかもしれない。

 

清水沢コミュニティゲートの情報がニュースで流れたとき、なんとなく、「ああ、ここもそういうものが根底にあるところなのかもしれないな」と思いました。最初はそれほど強い印象はなかった。

ところが、運転中だったので映像は見ていなかったけど、清水沢が夕張の一地域だということ、かつての炭鉱住宅を活用するらしいこと、そしてアーティストの活動拠点に~というような文言が聞き取れた頃には、直感的に「見てこなくちゃ!」って思いました。

なにせ僕も空き家を活用し、創作者が活動できるような場所を作りたいと考えているところだったから。

「これはヒントになるで!」ということで、清水沢コミュニティゲートを検索し、以下のページにたどり着き、お問い合わせをして、お話しを伺ってきました。ずるずると長居してしまって申し訳なかったけれど、色々とお話しが聞けて本当に楽しかった。

よろしければ、まず簡単に清水沢プロジェクトのwebサイトをご覧ください。この記事では書ききれない、今清水沢で起こっていることの全体像が掴めます。

 

清水沢プロジェクト

 

清水沢コミュニティゲートの概要についてはこちらが詳しいようです↓

清水沢エコミュージアムプロジェクトの拠点・清水沢コミュニティゲート

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エコミュージアムプロジェクトの拠点!

えこみゅーじあむ?

なんじゃそりゃ、って思う方のために、現地で頂いたパンフから抜粋させてもらいましょう。

博物館の新しい概念「エコミュージアム」とは?

-自然や社会的な環境がつくった特徴ある地域がまるごと「博物館」です。
-有形・無形の地域の遺産を、人々の記憶の中も含めて「現地で保存」します。
-地域住民は、自分たちの遺産への誇りを外部の人に示す、「学芸員」の役割を果たします。

清水沢コミュニティゲートは、こんな活動の拠点というわけです。

地域全体が博物館。

夕張の歴史や、それを物語る産業遺産の数々、そしてそんな地域の暮しを物語る住宅群。

加えて、ただ眺めるだけでは分からない人々の記憶や、夕張の歴史を踏まえた上での現在の暮し、地域を形作る活動の数々。

それらが混然一体となって、四次元的な情報を頭に入れて地域を眺めることができますから、施設としての博物館よりはずっと奥行きのある知的探訪を行うことができます。

「エコミュージアム」という発想自体は夕張特有のものではありませんが、夕張の歴史や町並みがほとんど唯一と言って良いほどの独特さを持っているからこそ、エコミュージアムという概念とぴったり調和する取り組みとなっているのではないでしょうか。

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清水沢コミュニティゲートの機能

清水沢コミュニティゲートの機能について、またパンフレットから抜粋させてもらいます。

清水沢コミュニティゲートは、夕張市が保存した旧炭鉱住宅を活用した、「地域内外の人々のよりどころ」です。観光インフォメーションや、コミュニティスペース、アーティストなどの滞在拠点などさまざまな機能を持ち、地域内外の人々が出会うきっかけの場となります。

エコミュージアムの構想と併せて考えると、ここがどういうところなのかが分かりやすいのではないでしょうか。

「地域内外の人々が出会うきっかけの場」とあるように、ここは内側と外側を繋ぐ境目の役割を持っており、つまりはゲートであるということ。

単純に交流の場と言えばそれまでですが、内側から見れば出口で、外側から見れば入口だというところにコンセプトの香りするし、「ゲート」という辺りにこれまでありそうでなかった機能があるのではないか。

つまりどういうことかと言うと、外側から夕張に関心を持ってやってくる人が、このゲートをくぐってするっと内側に入ると、その人は夕張の、清水沢地域の一員となる。

清水沢コミュニティゲートというゲートをくぐることで、しばしばヨソモノに向けられる警戒心を解きほぐし、あなたはどんな人ですか?という、控えめながらもいくらかは好意的な関心へと変わる。閉鎖を解放に転じるという意味で「出口」という機能もしっかりある。

外の人が持つ関心と、内側の人が持つ関心がぶつかり、相互的に「理解しよう、伝えよう」という姿勢が生まれることで、本当に文化的な交流の場を作り出すことができる。

若干僕の解釈が出すぎかもだけど、お話しを聞きながら、ここの機能はよく考えられてるんだなと強く感じました。

そんな清水沢コミュニティゲートに「外側からやってくる人像」として象徴的な存在が、例えばアーティストの方のようです。

アーティストほいほい夕張

「入口であり出口」みたいな、機能的過ぎる言い方より少し有機的というか生物的な部分を表現しようとしてみれば、ここはアウトプットもインプットもこなす頭脳のような性質を持っている場所とも言えるかもしれません。

アウトプットとインプットと言えば、やはり思い浮かぶのはアーティスト、もしくは研究者と言った方たちではないでしょうか。僕はそうです。

4部屋ある住宅のうち、3と番号が振られた部屋は実際にアーティストの方が利用していらっしゃいました。

この方です。→小学校の校歌と思い出を作品に−菊池史子さん滞在制作

これまで、もう既に3人の方がここを利用しているそうです。

作業用のアトリエとして利用できることはもちろんですが、作品の性質によってはここはそのまま展示ルームとして使うこともできますから便利ですよね。

ところでそういうアーティストさんたちとはどのような縁で?というようなことを聞くと、webサイトを見たのがきっかけでとか、別のアート事業で関わった縁でとのことでしたが、話を聞く分にはもともとの夕張ファンの方がけっこういるのかな?という印象でした。

確かに夕張は独特な経歴を持っていますし、あくまで外側からの勝手な印象ですがどうしてもある退廃的な空気、産業遺産などの景観は創造力を刺激するなという感じがします。美的嗅覚に優れたアーティストほいほいだな、と。

 

完全に余談だけど清水沢コミュニティゲートのお話し聞きながら、ジャック・フィニィの『ふりだしに戻る』という本を思い出していました。

これは「ノスタルジー」「過去への回帰」「失われたものへのあこがれ」が描かれた小説と言われており、というか手元の文庫本の解説に書いてあるんだけど、ジャック・フィニィ氏も夕張は大好物だろうなって。

タイムトラベルものですがその方法が変わってます。タイムマシンなどは登場せず、過去の姿のままに設定された景観の中で、自分は今その時代のその場所にいるんだと信じ込むことで過去を経験するというファンタジックな空気も持つ小説。

 

伺った日はあまり外を歩けなかったのだけど、旧炭鉱住宅が立ち並ぶ姿を眺め、炭鉱の町として機能していた時代を想像すると、ちょっとしたタイムトリップ感を味わうことができる。

ああ町並みや景観が保存されているってこれほど魅力的なことなのだなと感じました。

そして、清水沢コミュニティゲートに期待されるミッションの一つには、エコミュージアムの拠点なのですから、まさにその「場の維持・保存」というものがある。

文明の流れに翻弄される場を守るのは、文化だ。

ゲートを設けるという発想は、ひと昔前の「観光」の視点で言えば意図不明なことだったかもしれません。それは間口を狭めることで、言い方は悪いですが否応なく「人を選ぶ」システムになってしまう。少なくとも消費者を一人でも多く集めなければならない観光にはそぐわないよと。

大人数を収容しまとめてさばけるホテルのような設備を整えるならまだしも、一棟4部屋という限られた場所を内外の人が気軽に使えるようにして深く交流できるような場所にしたところでどうなるんだ(説明口調)と。

近隣の人との交流とか、暮しの記憶や町のストーリーを伝えるとか、それが一体何になるんだいと考える人が、ひと昔前ならばいたかもしれません。

清水沢コミュニティゲート 看板②

しかし、ただ消費され、人が流れていくという記憶に人一倍痛い経験を持つのが、夕張という土地なのではないでしょうか。

炭鉱の町というアイデンティティは国策によって生まれたものですし、エネルギー資源の転換によって炭鉱閉鎖が余儀なくされたのも消費経済に象徴される文明社会の流れによるもの。

観光で起死回生を図るも振るわず、財政再建団体となり、事実上の財政破綻に陥ってからは、「失敗した町」というレッテルを貼られてしまいました。

観光事業に失敗したから破綻したのか?と言えばそうとも言えず、やはり根本には世の流れ、文明の変遷というものがあり、もちろん色々な要素があったのだろうけど「不運」という部分は強い。あえて嫌な言い方をすればただ国に消費された「被害者」であると言っても否定できない。

炭鉱住宅

しかし、市が困窮し、人口流出が激しくなり活気を失い、全盛期と比べると見る影もないくらいに廃れてしまったこの土地で、そこに残るという決断をした人がいたことも忘れてはいけません。

移ろいやすい世の中で、人を引き留める力を持つのは「記憶」や「愛着」や「思い入れ」と言ったセンシティブで人間的な何かだと思います。

もちろん、残らざるを得なかったという人も大勢いたと思います。しかし仮に人々が合理的なばかりであれば、夕張市はもっと違う姿になっていたかもしれません。

ことによるとすごく近代的な若い都市になっていたかもしれないし、今よりよっぽど人が多い土地になってた可能性もある。

でも炭鉱遺産はすべてなかったことにされてたかも。夕張市のアイデンティティは本当になくなってしまっていたかも。そしてもしそうなれば、「炭鉱の町」で暮らしていた人々のアイデンティティも消失してしまうことになりかねない。人が捨てきれないそういうものも、みんなが合理的なだけで生きていたら奪われていたかもしれない。

だから、文明がバランスを失って崩れそうなとき、底の方で踏ん張って場を保つのは文化なのだと思う。お金だってそりゃなきゃ困るけど、根本と中心にあるのはやはり人間的な何かだと思う。

人々の会話や記憶や細々とした生活の断片、記憶、思い入れ、エピソード。

清水沢コミュニティゲートは(夕張市は)交流人口を増やしそういうものを新たに生み出そうとしているだけではなく、土地の歴史やそこに住む人々をレスペクトした上で残せるものは残そうとしている。

加えて、内側に抱える記憶や思い入れを外側からやってくる創作者や探求者に示すことで、現代の美的感覚を刺激し新たな価値を地域に付加する取り組みをしている。

そういう交流を通して、地域の魅力を育もうとしている。

もちろん夕張は普通に観光で訪れても楽しめます。

が、清水沢コミュニティゲートをくぐれば、ただ通り過ぎるだけでは分からない、ディープな夕張を垣間見ることができます。

ピンと来る方はこちらから問い合わせてみてはいかがでしょうか。

気になる利用料金などは変更もあるかもしれませんしフレキシブルに対応しているようなので、ここではご案内は控えさせてもらいます。

夕張に現れた「清水沢コミュニティゲート」を知っているか(完)

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