前回のブログでは「作為をどう隠すか」が小説の課題だ、というようなことを書きました。

作為が見えるとなぜダメだと思っているかと言うと、作者の顔が見えてしまうからだと僕は思う。
物語を構成しているテクスト以外の余計な情報を、作者自らが提供してしまっているという意味で、作為が見える文章はイカンと思うのです。
具体的にどういうことなのかと言う話を、自分が過去に書いた作品を例にして、この記事で書いてみたいと思います。
モデルは以下の短篇小説です。読まなくてもこの記事で言ってることは多分分かるように書けると思いますが、お時間ある方は一読いただけると嬉しいです。
Contents
タイトル、テーマ、シチュエーションが押し付けがましい
自分が書いた作品を駄作としてまな板にあげてただただこき下ろすようなことがしたいわけではありません。
矛盾を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、『きょう/は/てんと/は/はりません』は僕の自信作の一つであり、自分なりによく書けたと思う作品の一つです。
しかしその上で、書いた日から時間を置いて見てみると欠点があることも否めない。
この欠点こそが「作為の隠せてなさ」というか押し付けがましさにあると思います。
タイトルでテーマを語りすぎている
タイトルの『きょう/は/てんと/は/はりません』は少し風変りに見えるかもしれませんが、日本語教育などの現場ではわりとみられる日本語の分かち書きです。
文節ごとに分けることもありますが、このタイトルでは単語ごとに分かち書きを行っています。
語り手と登場人物の一人が日本語教育のボランティア活動をしている学生である、という設定が反映されているのですが、もちろんそれだけの意味ではありません。
ここで表現したいのは「要素と要素の隔たり」であり、普段はあまり意識されないけれど、ある状況で確かに感じる越えられない壁、見えない障壁、というものがテーマに据えられています。
概念としては例えば、「母国語が違う人同士のコミュニケーション」とか「同じ日本人でも初対面だとギクシャクしてしまう会話」とか。
言葉は伝わるけれど意味がうまく伝わらないの連続
実に押し付けがましいところだなと思うのですが、この話のテーマは「人同士の見えない壁」で、もっとかっこつけて言えば「求めるけれど不全に陥るコミュニケーション」です。
そういうことを象徴する小話がいくつかちりばめられていて、作為的すぎるというか、短い小説で象徴的なエピソードをちりばめすぎかなと思わなくもないです。
いや短い小説だからこそテーマが分かりやすい象徴的なエピソードで輪郭をはっきりさせた方が良いのかもしれない、とも思うし、書いた当時ははっきりそう思っていたのですが、今読むとちょっと押し付けがましいかなと思います。
具体的には、例えば「ありがとう」と「どうも」の違いに悩むエピソードや否定した箇所がすれ違うエピソード、など。
ああ意外にこんなものか。適切な量かもしれないですね。いや、でもやっぱりちょっと押し付けがましいなと思います。
シチュエーション、目で分かる隔たり
会話でのコミュニケーション不全とは別に、シチュエーションや物質的な配置などによって隔たりを表現している箇所もいくつかあります。
例えば車内では前後のコミュニケーションがけっこう難しいですよね。車内の前後で障壁があるのに加えて、初対面同士だとその障壁を越えて話しかけるのが難しかったりすると思うのですが、そういうあるある的な状況を書いた部分があります。ちょっと引用。
工藤さんが運転する車の助手席に座る愛梨さんはやっぱり彼女なりの敬意を持ってさなえさんを歓迎していたしそれが僕には分かったけど、さなえさんの方にそれを受け取るスキルは乏しかったのもあって、愛梨さんはさなえさんへの「学校どこって言ってた?」とかいう質問を微妙に工藤さんに向かって発信することになり、工藤さんが通訳する形で、さなえさんは学校どこなの? とか、日本語のボランティア?って面白いの? とか質問しては、その答えに愛梨さんが聞き耳を立てるみたいな不器用な空気感が居たたまれなくもおかしかった。
もうひとつ、向かったコテージの間取りも「隔たり」というものを表現する上で重要だと思い詳しめに書きました。
コテージの中はあまり広くないけれど吹き抜け構造の二階建てになっていて天井が高かった。
部屋の隅に二段ベッドが一つ、階段を上がるとロフトと言えば良いのか屋根裏とでも良いのかよく分からないL字型のスペースに布団を敷けるようになっていて、自ずと男子と女子で一階、二階に分かれて眠ることになりそうだと僕は思った。
作為はもう少し隠せそうだけど、けっこううまい小説かもしれない
テーマを押し付けすぎているような気がしてチープに感じたりもしたのですが、こうしてまとめてみると輪郭がはっきりしているという点ではなかなか上手に書けた小説かもしれないですねやっぱり。
1万字という制約の中で作った小説としてはけっこう無駄がない作品となっているのかもしれない。
誰かが見れば欠点を強く感じるかもしれませんが、僕本人の目で見れば、まあ確かにちょっと分かりやすすぎるし、テーマのために、恣意的に物語を作りすぎている感が鼻についたりするかもしれないけれど、自分の実力かなあという感じで納得もしている。
最終的に何が言いたいかと言うと、自分の作品って好きになったり嫌いになったりしますよね、ってことかもしれません。
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