【創作×田舎=まちづくり】大言壮語も吐いてやろう

まちづくりを考える

ながいものを書きました。15000字ほどあります。

とにかくとにかく、自分の頭の中にあるものを書き記しておかなければ発信がままならないと思いました。

自分の頭の中で考えていることはあるけれど、それを差し置いて、人が関心を持っていること、にも辿りつく気がしない。

だからまずは自分の頭の中にあるまちづくりの構想、理想、目論みをできる限りざっくばらんに、かつ詳細に書いておこうと思いました。

「創作×田舎」という視点でずっと物事を考えてきました。

辿りついた結論は「田舎を舞台に創作がしたい」ということでした。

僕は人口が1000人ちょっとの、北海道の内陸も内陸、旭川よりも70㎞ほど北に位置する自分の小さな町を舞台に、創作がしたいのです。

でもちょっと待って欲しい。

「田舎を舞台に創作がしたい」と書いて伝わるのは恐らく、「田舎を舞台にした小説作品や映像作品を作って地元をPRしたい」というようなことだと思います。

例えば『君の名は。』が岐阜県を舞台にした物語で、その物語の力によって舞台である土地がほんの少しでもフィーチャーされる、というようなことが自分の地域で起きることを夢見ている、と捉えられると思います。

それとは僕が言っている「田舎を舞台に創作がしたい」という意味と少し、微妙に異なっています。

このことについて、じっくり詳細に説明させてください。

粗はあるかもしれないけれど面白い話になるはずです。

「まちづくり」や「コミュニティデザイン」に関心がある方、そして「創作(特に物語の執筆)」に関心がある方なら、少なからず楽しめると思います。

僕はもちろん常に「これ以上読まれない可能性」を頭に入れながら話を進めますが、同時に最後まで読んでもらえることも大いに期待して、遠慮なく書きたいことを書いて行こうと思います。

やたらめったら長くなりますので、小分けにしてでもゆっくり読んでほしいです。

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1.創作と田舎は僕の両輪

僕はずっと自分のアイデンティティを定めることができずにいました。

創作の道を志し、創作を究めようと思う人】

【まちづくりに関心を持ち、まちづくりに貢献しようとする人】

どちらも僕が自分自身だと認める大事なコアです。

どちらか一方ではなく、どちらの要素も僕という人間の両輪になっていて、どちらか一方ではうまく前進できない。

しかし、この両輪を旨く連動させて機能させるのはとても難しいことでした。

小説家になるのか、まちづくりをするのか、どっちかにせい!という自分の頭の中で響く声がありながら、どちらも捨てることができなかった。

とは言えそれぞれが分断されているのがやはりおかしい、僕は「田舎で」「創作」をすることにこだわっている。

さっきも言ったけれど、「田舎」と「創作」は僕の両輪であって、田舎のことを考えると創作に辿りつくし、創作のことを考えると田舎に辿りつくというなんとも言いがたい状況になっていました。

もう少し掘り下げて言うと、「田舎の暮らし」のことを考えると「人の心や行動」について思考が及び物語を書きたくなるし、「人の心や行動」について考えると「田舎で楽しく暮らすにはどうしたら?」という問いが浮かぶのです。

僕は気付きました。超個人的な、個としての僕は「創作」を志向する。そしてその創作の志は「町」へとたどり着く。

一方、社会的な人間としての僕は「町」から思考がスタートし、深く考えれば考えるほど「創作」へとたどり着く。

創作と町は僕が人生を前へ進めるための両輪。

創作を町の道具にすると言っても、町を創作の素材にすると言ってもいまいち僕の感覚からはハズれている。僕は「町で創作」がしたいのだ。

町を使って創作がしたい

うまく伝えられる気がしないけれど、強くそう思いました。

この記事を最後まで読んでいただくことで、「町で創作」の真意を伝えることができたら、と考えています。

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2.ビックピクチャーシンカーである

突然ですが僕はビックピクチャーシンカーです。

ビックピクチャーシンカーという言葉は以下の記事で知りました。

物事の全体を見るタイプで、根拠はないけれど楽天的で、あらゆる可能性におぼれがち。比較的クリエイティブ。

いろいろ手を出してしまいます。

旅行は計画を一切立てようとしませんし、立ててもうまくいきません。

上記の記事の3番「予定を詰め込みすぎて見落とす」は僕に当てはまりません。僕は田舎で静かに生きるのが好きですし、予定を立てることをそもそも嫌います。しかしその他の項目はまるきり僕です。

僕が特殊な人間と言っているわけではありません。

世の中には大きく「ビックピクチャーシンカー」と「スモールピクチャーシンカー」、そして「そもそもあまり考えない人」がいて、それぞれ長所と短所がある、という話だろうと思います。

その性質にはグラデーションがあり、僕の場合かなり濃く「ビックピクチャーシンカー」の色が出ている。

なぜこんなことを急に言いいだしたのかと言えば、端的に、これから僕が話そうとしていることはなかなか視野の広い話だということを知ってもらうためです。

また、幾分空想めいていることも先に断っておきたいという気持ちがあります。

しかし、自分がビックピクチャーシンカーで、なかなか視野が広い話だ、と言うのは非常に勇気がいります。

なぜなら、「言うほど広い視野でも、高い視座でもない」と言われればぐうの音も出ないからです。そして恥ずかしいからです。

それで、僕は自分がビックピクチャーシンカーであることを自覚しながら、あまり未来のことや理想論を語ることは控えよう、大言壮語もたいがいにしようと思いながら、主にブログで発信を続けてきました。

いつしか、どうせ伝わらないから書いても意味がないとか、話を広げれば広げるほど粗が目立つに違いないと考えていたのです。

誇大妄想が過ぎる理想主義者だと思われるのが嫌で、もう少し地に足のついた発信をしようとしていたのです。

しかしこれが間違いだと気付きました。

いつしか、大きい理想でも、それに粗があっても、人に知ってもらう努力をすべきだと感じました。伝わるまで伝えて、粗があったら調整して、ときには誰かに助けを乞うてでも達成すべきことだと思いました。

少々大げさな物言いになっているかもしれません。

ただ、ビックピクチャーシンカーの欠点とも言える、楽天的すぎるが故の計画性の杜撰さや、あらゆる可能性に浮気してしまい一つのことを究められない欠点を補う方法は、こうして書くことが一つのポイントになると思います。

できるだけ背伸びせず、理想を語ってみます。

3‐1.悲観的な未来予測×道北・田舎・過疎×僕が考える大問題

理想を語る前にいくぶん悲観的な未来予測をします。

僕は10年後、もしくは20年後のことを考えながら、「まちづくり」や「コミュニティデザイン」について語っています。

この点だけを指して大きな観点でものを見ているというわけではありません。しかし、長期的な視野、というものは「まち」を語る上で最も基本的なことと思います。

10年後、20年後という時間設定が僕にとって何を意味するかというと、自分の親の世代が衰える時期だ、ということです。

僕にとって分かりやすい言葉で時間にマークするとすれば、「親が衰える頃」というのが早くて10年後、遅くとも20年後、ということになります。

その頃、自分の親(世代)は必ず思うように身体が動かず、思考力も低下し、一人でできることが極端に制限されてしまいます。

もちろん個人差はあると思いますが、少なからず人の補助がなければ、QOLは下がり続けることは間違いないと思います。

QOLを下げる直接的なポイントは大きく二点あると思います。

・健康管理が自力では困難になる
・家の管理が自力では困難になる

健康も、家も、明らかな問題であればプロに頼る、行政に頼るということになると思いますが、それ以前の些事とも言える領域で管理能力が落ちるという点をどうにかしなければならないです。

例えば「病院に連れていく」という行為は行政のサービスなどでも可能かと思いますが、「病院に行くかどうかの判断」は大変困難です(この領域をカバーしているケアマネージャーのような職業の方もいますが)。

屋根や壁の塗装など大がかりなことはプロに頼むことになりますが、家の基本的な清掃や庭の手入れ、もしくは物置の整理などはどうでしょう。

その辺りもプロに頼んでも良いかもしれませんが、少し大仰な気もします。そんな微妙な領域で、思ったように行動できない、という場面は増えるはずで、自分では判断できないということが増えるはず。

これは、我が家の向かいに住んでいる現在84歳の祖母を見て感じたことです。祖母は歳のわりには頭も体も丈夫で、一人で生活できていますが、やはりさすがに覚束ないところがある。

例えば冬になると、水道が凍らないように対策できるだろうか?と心配になる。水道が凍って破裂したらプロに頼るけども、それ以前のちょっと凍った時点での復旧などはできるだろうか。

大きなサービスは充実していくと思います。しかし、些事に目を凝らすのは困難で、些事に対して本格的なサービスは「帯に短し襷に流し」のようなものになるのではないか。

しかし、些事こそが大事に繋がります。

QOLを下げないというのは、何かあったときにどうにかするのではなく、できる限り何も起こらないようにする、という観点で考えるべきではないでしょうか。

若い人の目や手が届かないということは、そのまま、些事に手と目が届かないということだと思う。

少子高齢化と過疎。

それ自体が問題として捉えられていますが、例えばそれはコミュニケーションや関わりの減少により「些事に目と手が届かない」ということだ、のように、もう少し詳細に言語化することができると思うのです。

3‐2 僕らの10年後、20年後は?

10年後、20年後、僕ら世代(今の30歳前後)はどうなっているでしょうか。

順当にいけばそれなりに出世して程よいお給料をもらえるようになっていたり、それなりの実績を持つプレイヤーになっているのかもしれません。

その中から親の健康や家の維持にかかるお金を払うことも可能かもしれないです。

しかし、この点で僕は悲観的です。

そもそも、順当に出世したからと言って、今の親たちの世代が出世して得られるほどの賃金が得られるか?ということ。親が息子を頼りにするも、とても余裕はない、という状況が今の時点でありふれています。

親を助けるために自分のパートナーや子を犠牲にするということもあるかもしれない。

そして、同じくらいもらえたとしても、福祉サービスに関わる値段は上昇するのではないか?ということ。

充分なサービスを受け取れるほどの資産があったとしても、親のお世話を人任せにして納得できるのか?ということ。

2020年3月23日追記:コロナウィルスの影響で、リーマンショックを超える恐慌に見舞われるという予測があります。そもそも今の20代30代は好景気を知らない世代です。僕らの世界はこの状況を打破できるのか、できたとして好転するのはいつなのか、不安は尽きません。

3-3 楽観的な未来予測をしようと思えばできる

もちろん、いくらでも楽観的に考えることはできます。

税金の引き上げによって完全に行き渡った福祉が行われるようになり、低コストである程度安心の補助サービスを受けられるようになるかもしれない。

もしくは、一家に一台家政婦ロボットのようなものがあるのが普通になるかもしれませんし、マイクロチップによって常にバイタルチェックがなされていて、健康維持も人間が行うよりずっと正確にこなせるようになるかも。

寂しさという点でも、例えば遠く離れていてもホログラム技術の向上と低価格化でまるでその場にいるように話をすることも可能かもしれない。

交通手段の進化により移動にかかる時間が大幅に短縮されてすぐに会いに行けるかもしれない。

そもそも、仕事を決まった場所で決まった時間にしなければならないということ自体が、20年後には信じられない昔話になっている可能性もある。

だからその気になれば実家である程度の管理をしながら働くということも可能になる人が増える。

そもそも働く必要がない人も多くなるかもしれない。

ビックピクチャーシンカーの特徴として、根拠なく楽観的というものがあるらしいですが、確かに楽観的な未来というのはいくらでも想像できます。

全体的に見れば良い方向に進むのだと考えていますが、この朝日町の出身者でそのような働き方をする先進的な人間がどれだけいるだろう?と思うのです。

そもそも親のためにわざわざ地元に帰ってあれこれしなければ、と考え、実行できる人がどれだけいる?諸々の事情により、したいけどできない、というのが現実なのでは?

また、10年、20年先というのは意外に近い未来です。

新しい技術があるからといって人はすぐに自分の人生に適用するか?そもそもコスト的に適用できるのか?適用したとして満足するか?流通するにしても田舎は最後の最後なのではないか?

なにより、世の中の技術発展とは言え誰かの意思と努力にかかっていることに間違いはありません。

誰かの意思と努力に期待して過ごすのはもどかしいし、何より面白くありません。思っていたより未来が進まなかったとき、その、勝手に期待した誰かのせいにするしかないなんて、と思う。

現状で僕が考えられる、そして僕でもできそうな方法で、できるかぎり広い視野を持って、町の未来を考えたい。

そして僕なりに出した一応の答えを書き記しておこうと思うのです。

手段、方法、解決策

端的に、田舎には優しく賢い若者の手と目が必要だと感じます。

ここで言う若者とは、10年後の10代から40代。人生100年時代と言うくらいですから、50代でも若者と読んで良いかもしれません。

10年後は僕もまだ40歳ですが、20年経てば50歳です。だから50も若者にいれたい気持ちです。

若者が必要だ、ということはどの先進国も直面している大問題にして大前提。だからこそどの地域も移住促進を目指したりするのだと思います。

しかし、単純に若者の数は少ないのだから、抱え込むべきではないと僕は思います。

動ける人(動きたい人)は流動すべきで、動いても損がない状況を作ることが重要だと僕は考えます。

つまり、この町を若者が流れていく地域にしなければならないと感じています。

巡ってきた若者はどうするか?

その場でインスタントに仕事がこなせるようになれば良いと思います。

とても小さな仕事です。

この仕組みについては何度も考えていたのですが、なかなかうまくいきません。非常に難しい問題です。とにかく一工夫が必要だと思います。

例えば、僕の会社がハブになり、仕事を斡旋する場となる。

仕事の依頼は一件or1時間当たり500円。依頼時に僕に500円払う。

これを若者が引き受けて無事にこなせば、報酬は一件or一時間2000円になる。

つまり、斡旋する立場である僕が損をする仕組みです。

勇気を持ってこれを行うというのが、解決法になるのではないかと考えています。

通底する信念は、「田舎において若者の労働力は実際以上の価値を持つ」ということです。

一方で、仕事そのものの労力にかかるお金というのはやはりそれほど高くはならない。

除雪や掃除やペットの散歩。いずれも簡単な仕事。雑用。身体が動きさえすれば自分で難なくできること。それを代わりにやってくれるのは助かるけれど、実際、そんな大きな仕事ではないことが分かっている。

だから500円。ワンコイン。実際その程度の仕事。

しかし、雑事でも特別な技術が必要なくても、体力や根気を必要とする作業をする人がいなければQOLがゆるゆると下がるのは明白。

日々の健康管理や家の手入れの滞りは高血圧や血糖値みたいなもので、すぐには感じられないけれどじわじわと生活を蝕む。

些事は些事に違いないけれど、田舎のようなフィールドにおいては大事として扱う。

だから報酬は2000円。

依頼する方は500円の仕事のつもりで依頼する。

引き受ける方は2000円の仕事のつもりで実行する。

頼まれる仕事に過度なアイデンティティや責任を持つ必要がなく、小さいけれど美味しいクエストをこなすという状況を作る。

もしこのような仕組みが実現できたらどうでしょう。

気軽に仕事を頼める若者が町には巡ってくる。

直接の交渉をする必要はなく、管理する場所で仕事の質や報酬、お互いの安全性への配慮などに心血を注ぐので頼みやすいものになる。

町に住む人は些事を低コストで解決できて、町に来る人は些事でハイリターンを得ることができる。

こういうの、社会的にはもっとスマートにアプリとかでやることになるんだろう。もちろん適正な価格で。

メルカリとかのように個と個のやり取りできるように、仕事もオンデマンドになり、わりとみんなカジュアルに何でも屋になるはずだ。

ところが僕はアナログをイメージする。理由は田舎だから。新しい仕組みを適用する上で、平均年齢が高いというのはそれほどのハードルがある。

僕の町のコミュニティスペース及びコワーキングスペースが本部とイメージします。

ここに掲示板を用意。依頼があって、審査後貼り出し。巡ってくる人はその中から適当な依頼を選び、申請する。

所定の条件が定められた仕事をこなして、条件を満たしていれば本部でお金を受け取る。

RPGの世界ですね。仕事はクエストとなり。旧佐藤医院はギルドのようになる。というかなってほしい。

これの運用管理となると大変な仕事になるので、流れる人ばかりでなく、少なからず定住する人(ギルドの受付嬢的な人)も必要になる。

細部の想像を苦手とするビックピクチャーシンカーでさえあらゆる問題が頭に浮かぶのだから、実際の運用は大変だと思います。

でも面白いと思う。

仕事とか労働じゃ熱くなれないけれど、クエストという感覚が良いではないですか。

自分の旅、人生の目的の途中の資金稼ぎ。

もちろん、行政で同じような取組をしても良いですが、民間でできた方が面白くなると思います。根拠はないけどなんとなく。

問題点

僕が思い至った問題点について、いくつかメモをしておこうと思います。

この話を一読して、多くの問題点にお気づきになると思います。

例えば、依頼する仕事によっては資格や許可が必要になるのではないか?

お金が稼げるという理由で若者を集めるという方法はそもそも悪手ではないか?

不真面目な人が集まるのではないか?なぜなら、定職につかず風来坊みたいに生きている人たちだから、そもそも信用できない、という見方は絶対にあるだろう。

いくら簡単な仕事でも見知らぬ人を家に上げることや手伝ってもらうことには抵抗があるはずだ。

働く側にしても、十分な仕事があるか?という心配はあるでしょう。

これ以降は、これらの問題点を頭にいれた上で、どのようにコントロールするかという点について書いていこうと思います。

その前に、最大の問題があります。

それは、僕に十分な資金がなければならないという点です。

笑うしかないですね。正直この点が最大の難点にして、机上の空論になってしまっている要因です。

お金持ちになる。そして非合理的なまちづくりがしたい

荒唐無稽な僕の理想論には、お金が必要になります。

500円で仕事を受けて、2000円で斡旋する、という部分に最大の非合理があり、自分を犠牲にするシステムです。

普通に考えてダメでしょう。赤字を前提としているのですから。

でも町への投資だと考えれば別に良いのですが、それにしてもお金です。

自分がちょっと損をするということ以外においては意外に合理的なシステムなのではないかと思うのですが、十分なお金を僕が稼ぎ続けなければならないという点のみが不合理で、ここのところ根拠がなさ過ぎていけません。

お金があるだけでもダメで、田舎にいながら、時間も確保しなければならない。

なかなか無茶を言います。まずサラリーマンではいけない。幸いというかなんというか僕はサラリーマンではない。ライターとして仕事をいただいている(単価3円)他、ブログで少しだけ稼いでいます。

正直言って貧乏です。生活コストが低いから何となく生きれているけれど、自分たちの生活でいっぱいいっぱい。

この記事を妻が読んだら青ざめるか笑われるでしょう。

しかし、これを実現したいと書くことで、僕はようやくお金を稼ぐ意思が強くなったような気がします。

これまでも漠然とお金を稼ぎたいという気持ちになったことがありますが、どうもそれではお金を手に入れる動機として薄いようでした。お金のためのお金というか。

お金持ちになって羨ましがられたいとか余裕を持ってくらしたいとかあれが欲しいこれが欲しいって欲求が普通にありますが、潜在的に必要と思っていないせいか、稼ぐことに関してブレーキが働いてしまいました。

ごくごく凡人の、お金を稼ぐということに対して引け目を持っている人の考え方だと思います。

妻が妊娠して、より稼ぐ意思は強くなりました。

稼ぐことは善である、というマインドを得ようと思い、金回りが良さそうな有名人の発言などを聴いたりしまして、それなりに世の中に価値を提供するということに意義を感じるようになりはしました。

これまでに、とにかくお金を作る方法を得ようと思い、アフェリエイトに挑戦しようと思ったりもしました。

一人でする自信がなかったので協働という形でアフェリエイトブログを作っていたことがあるのですが全然ダメでした。

稼ぎましょうと言われる度に冷めたし、ビジネスでやってるので目標を高くと言われる度に冷めました。

お金が得られてもその過程自体が楽しくないと嫌だし、書くことは好きだからアフェリエイトサイトの構築ならできるんじゃないかと思ったけど、魂を使って書かないので詰まらないなという気持ちですぐ挫折しました。

これは妻が妊娠する前の話ですが、稼ぎたいと強く考える今でもできる気がしません。

アフェリエイターを否定するわけでは決してありませんが、向き不向き、適正がある職種だと思いました。そして僕は文章を書くこと自体には適正があるが、アフェリエイトには向いていなかった。

アフェリエイターさんから仕事を貰っていたりするので、やってることは一緒だろうと思うのですが、自らにそのアイデンティティを適用させようとするのは無理でした。

やっぱりやってて面白いことしなきゃなぁ。結局続かないもんなぁ、という気持ちを強くしました。なにより、子どもに楽しく夢中で仕事してるとこ見せたいよなと。

てか町が面白い場所じゃなきゃ子どもに申し訳ない、とまでは言いませんが、なんか後ろめたい。僕のわがままで田舎に住んでるわけですし。

僕が楽しいと思える場所を作って、これ父ちゃん作ったんよって言いたい。子供の前で良いカッコして、大人になってどこに行っても、自分の故郷は面白いと言ってもらいたいし、町で過ごしてくれても良い。

少々空想がすぎますね。

とにかく、こんな青い理想を実現できる環境を作らなければ、そんな環境を作る先端が田舎だったらどんなに面白いか。そう考えました。

そんな僕が書いて一番楽しいのは小説。あろうことか小説。

創作以外ならば町のこと、田舎のこと、人のことなどを書くことが好きです。僕は小説を書くとき、結局小さなコミュニティとその中の会話を書いているに過ぎない。

そんな僕の書く上での興味をすべてまとめようというのがこの記事です。

端的に言って、僕は創作によってお金が稼げるようになりたい。

その算段を本気で立てにいく。

6‐0.創作を軸にお金を集められるようになることが必要だ。そう思う理由

創作を軸にお金を集められるようになりたい。

理由は4つあります。

①小説・虚構・物語が好きで、少なからず僕が能力を発揮できる領域だから

②町を楽しく眺める人外部の人が必要だと思うから

③創作の余地や遊びが若者が巡る地域には必要

④創作、芸術を愛する人に悪い人はいない?

一つずつ説明していきます。

6‐1小説・虚構・物語が好きで、少なからず僕が能力を発揮できる領域 ~好きじゃないと続かない~


ここに至り、「田舎を舞台に創作をしたい」の真意に触れることになります。

現実の田舎町に、虚構の物語を重ねていくという趣向です。

田舎を舞台に小説を書くと言えばそうなのですが、民話、噂話、デマ、事件、記憶などの断片を、架空の町の地図の上にちりばめていくという形。

小説なのか?と言われるとどうなのか分かりませんが、試してみたい創作形態なのです。単純にぼくの好きなこと、僕がやりたいことを言っているだけです。

好きなことじゃないと続かない。続かなければ意味がないし、熱中できなければ意味がない。

テクスト、写真、動画などを駆使して、地域をまるごとエンタメで埋め尽くせないかと考えています。

これによって何が起こるかというと、ネット上では僕の町が物語で溢れていく。

僕の町がどんどんネット上で架空の不思議な話がたくさん溢れる地域として印象づけることができるかもしれない。

何より、僕の町に間接的にでも触れる機会が増える人が生まれる。

これが大事です。現実に生きるためにも、ネット社会で生きるためにも、とにかく人の目が必要なのです。

6‐2.町を楽しく眺める人外部の人が必要だと思うから~精神的な好きを町に集めよう~


人に町を好きになってもらう必要があると感じます。

僕が創作することで、僕のファンよりも、町のファンを作った方が良い。だから「田舎を舞台にした創作」がしたい。そして人の目を田舎に集める。

そう考えたとき、好きにもいろいろあって、肉体的な好きさと、精神的な好きさがあるよなと思いました。

例えば観光地などでは美味しい食べ物が食べられて、良いお湯につかれて、楽しいアクテビティがあって、みたいな風であれば、これは肉体的に好きなんだろう。

肉体を満たす好きさです。これは良いですよね。

一方精神が喜ぶ好きさというのがあって、創作や芸術はこちらを満たすものだと思う。

それがあるというだけで自分の人生が少し豊かになった気がする、心強いような、今週も生きていけるような気がする、というような好きさ。

自分の町も誰かにとってそういうものを提供できる場になれば良いなと思うのです。

一般的に芸術や創作物は腹を膨らませたり、生活の質を上げるものではないと思います。

便利でもなければ、誰にも平等というわけにもいかない。

しかし、僕の不合理で荒唐無稽なまちづくりを支えるのは、きっと精神的にこの町を好きになってくれる人がいてこそだと思うのです。

次に、創作を軸に視線とお金を集めたい理由その

創作の余地や遊びが若者が巡る地域には必要について。

6‐3.創作の余地や遊びが若者が巡る地域には必要 ~ただ平和で安全で善性にまみれた地域は面白くない~

これは、はっきり言うのは勇気がいります。

仮に10年後、20年後、福祉サービスが充実し、息子や娘が遠く離れていても親が安全に、平和に暮らせるような環境が拵えられたとして、その地域は面白くないと思う。

本当にここを伝えるのは難しいです。悪意を込めて言っているのではなく、ただ正直に言っている。

そこは平和かもしれないし、安心かもしれない。

良くも悪くも落ち着いて、良く言えば天国のようで、悪く言えば満たされていて面白くない。面白くないと言うより、退屈だと言った方が良いかもしれない。

今の時点で感じています。田舎は退屈だと思います。良い人と自然に囲まれて平和で良いのですが退屈この上ない。精神の充足、脳みその興奮。ドラマの不足。個人的な話ですが、そう思います。

そういうものを望まないという人もいることは理解しているつもりですが、とにかく僕はそう思う。

人生には毒が必要だと思うし、善性しか入り込む余地がない地域は終末という感じがする。

もちろん、悪が蔓延ったり、無法地帯になれば良いなんて思わないです。治安のコントロールは必要。

だけど無暗に何事もないことを良しとするような、エネルギーの乏しい地域を積極的に目指したり、そんな流れを見つめるしかない状況には抵抗がある。

小さい地域は好奇心を刺激し、新しいものが生まれる可能性があるべきだと思う。

その可能性を僕なりに思い描くと、「創作の余地」や「遊び」の部分なのです。

いつもどこのだれか分からない若者が町を歩いていて、気付けば何か作っていたり、よく分からないことをやっていたり言っていたりするけれど、元気で、熱中していて、町で過ごす人が満足している、という状況。

それは町に住む人のQOLを維持もしくは向上させる一助になるのではないか。

6‐4.創作、芸術を愛する人に悪い人はいない? ~精神的な親和性が治安をつくる~

「○○が好きな奴に悪い奴はいねえ」という風なセリフを目にすることってありますよね。

乱暴な理屈だと思いますが、確かに、「○○好き」というだけで信用できたりすることはあると思います。

もちろん、趣味嗜好が似ていても悪い人はいると思うので本気で言っているわけではありませんし、治安に関してはもっとクリティカルな工夫が必要だと思いますが、最低限の信用にはなるんじゃないか。

本当はこの○○に入るのはピンポイントであればあるほど良いのですが、これはもろ刃の剣でもあって、ピンポイントで好きなものが一緒で、無暗に親近感を抱くと、嫌いなものが一致しないとかの理由で裏切られた気分になったりする。

だからここではざっくり「創作が好き」とか「田舎×虚構」って響きにわくわくするとか「物語」を感じるものって部分で共感できる、という人と繋がれたら、それだけで安心感がある、というに留めておきたい。

地域を大事にしながら、ギリギリのいたずらというか、ひらがなで書く「わるだくみ」に興じれる人が僕の町を見てくれたら、その目こそが治安の維持に繋がるだろうという感覚。

すごく曖昧な感情だけど、おそらくネット社会に溶け込んでいる方には説明は不要な領域だと思います。

7.創作で単発の仕事ができる環境を作る

僕の理想は、先ほどの町でインスタントな仕事を依頼し、割高の報酬を貰うというシステムを、創作にまで広げることです。

地域の活性とか福祉に関しては二の次で、これこそが最大の目標と言っても良い。

非現実的な田舎、虚構のイメージとしての田舎を作り、傍から見て何となく面白い。

実際に足を運べば、ギルドがあり、小さい仕事(クエスト)があり、小金を稼ぎながら観光する場所はないはずなのに田舎を練り歩くことができる仕組みがある。

副次的な効用として人とはコミュニケーションが取れる。町民と町民、町民と外から来る人が、緩やかなクエストで平和に繋がりながら、相互的に助け合うことができる。

しかしそれだけでは例えうまくいったとしても僕がさきほど言った、平和で安全なだけの、善性に溢れた地域になるという懸念がある。

それも悪くはないだろうと多くは思うだろうけれど、ちょっと前に問題点としてあげた、「そんなうまいこと仕事があるか」という面からも考えなければならないと思う。

仕事はそれほど多くないかもしれないし、いつもいつもあるわけではないかもしれない。

あったらあったで良いけれど、小さな仕事(クエスト)とは名ばかりのただの雑用が溢れるようでは精神的にも面白みの面でも心許ない。

ここを補う方法を創作という視点に求めるわけです。

僕が架空の田舎を作りたい、虚構の、自分の田舎によく似たマップ上にあらゆる物語をちりばめたいと考える先には、その、創作自体が町で発注されるクエストになりはしないかという目論みがあるからです。

物語を作ろう、それをネットで発信しようとすれば、テクストが必要になる。写真が必要になる。絵が必要になる。動画の撮影・編集技術が必要になる。かもしれない。

というかそういうものが必要になる創作を、虚構の町の中に作っていくべきだろうなと思う。

そうすると何が起きるかというと、体力と時間を持て余した若者というだけでなく、絵は得意だけど仕事にする道が見つからない人、写真が好きだけどその技術を活かす場がない人にとっての活躍の場となる。

つまり、労働で稼ぐより創作で稼ぎたいという人こそが来る意味のある場となる。クリエイターが旅をするのに良い土地になる可能性がある。

みんな小さい仕事(クエスト)をこなし、報酬を貰うだけ。しかしそれは直接的に「まちづくり」になっているという仕掛けです。

それが「まちづくり」になるのは、僕が「虚構の地域に物語をちりばめる」という設定を拵え、発信するからです。

そうして、地域を面白く見てくれる人が増えれば資金が集まる可能性があって、それがクリエイターに分配されるという仕組みになる。

あまりに理想論だし、人の興味を集めるような創作ができるのか、という点で心配はあるけれど、創作のもう少し具体的な内容についてはまた日を改めて書きます。

この、創作の案と創作に関わる部分によってお金を受けとれるようになるのが理想的。

全体像を見せ、日々の作業を見せ、どんな世界観を構築していくのかという点を共有できる月額マガジンを発行などから始めてみようか。

8.僕の考えが伝わるのは、おそらく自分の親世代でギリギリ

できれば今すぐにでもそんな風景ができたらなと考えているのですが、お金がないとか、この話が伝わるまでに時間がかかるという理由で、すぐにとはいかないと思います。

しかし今の段階でこの考えを発しておくことは非常に大事なことだと思います。

僕は今30歳。親世代は、幅はあるでしょうが、定年前後と言ったところでしょう。

その親世代が次第に衰えてくる10年後、20年後を想定しているけれど、そのときにこんな仕組みがぬっと現れても適用できない。

今の親世代が、今の段階でこの記事の内容を見ることが理想的です。

そして、この通りとはいかないまでも、若い世代や他所から来た人に「頼る覚悟」みたいなものについて考えてほしい。

人に迷惑をかけないというモラルがあると思うけれど、正直僕はあまり好きな考え方ではないです。

人に迷惑をかけないというのは一見美徳だし、そう考えるのは正しいと思うけれど、どうころんでも人と人が関われば迷惑を掛け合うものじゃなかろうか。

ならばどう迷惑をかけるか、どのような仕組みで迷惑をデザインするかという点を考えるべきじゃなかろうか。

9.大言壮語も吐いてやろう

この記事のタイトルは、BUMP OF CHICKENの楽曲の中で僕が好きなもののひとつ、『バトルクライ』より拝借しました。

「大言壮語も吐いてやろう」にもグッとくるのですが、もっと好きなのは以下のサビの部分。

それが僕のわずかな力 ただの強がりもウソさえも
願いを込めれば誇れるだろう 望めば勇気にもなるだろう
ここが僕のいるべき戦場 覚悟の価値を決める場所
ひとつのウソにさえすがる僕の そのウソが誓いに変わる

虚構の町という大嘘をついて、ネット上で視線を交わせる誰かに助けてもらって、僕の町を面白くできたらと考えています。

何より、町がどうにかして面白くなることによって、関わる人の人生が少しでも良くなるにはどうしたら良いか?を考えなければならないと思いました。

遠くにいる人には好奇心と充足を。町で暮らす人にはQOLの向上・維持を。町で過ごす人には創造力の発散とその対価を。

それらが組み合わさって「まちづくり」というタイトルの創作をするのが僕のごく個人的な嗜好で野望です。

ここまで読んでいただけた上で「町を舞台に創作がしたい」と言えば、少し最初の印象とは異なると思います。

「町を舞台に創作がしたい」

小さな物語を量産し、人と人のコミュニケーションをデザインし、「まちづくり」につなげる。

そんな構想を考えています。

いまのところ以上です。

長い文章なのにここまで読んでくださってありがとうございました!

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