住めば都の正体

まちづくりを考える

ダン・ギルバートという方のTEDトークに『私たちが幸せを感じる理由』というものがあります。

これを見て、「住めば都」ってもしかしてこういうことだったのかな、と思ったのでいろいろメモします。

件の動画を見た方が分かりやすいと思いますので、良かったらぜひ動画をご覧ください。

ちょっと言い回しが分かりにくかったりするのですが、ざっくり言えば僕ら、「自分で選んだもの」や「迷う余地のないもの」、つまり「納得して受け入れたもの」に対しては僕ら幸せな感情を抱くようにできている、ということをダン・ギルバートさんは話しています。

自分の選択は肯定的に捉えられ、人工的に幸せは作り出される。

思い込みとか、強がりとかじゃなくて、本当に幸せや満足を感じる。

反対に迷う余地があった場合、僕たちは自らが選んだものにでさえ、不満足を感じたり、心から好きにはなれなかったりする。

このプレゼンを聞いて、「住めば都」も同じようなプロセスで生じる事柄なんじゃないかと思ったのです。

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住めば都の正体

「住めば都」とは言うけれど、冷静に見て、地域の良し悪しってありますよね。

治安とか災害の多寡とか都市へのアクセスの容易さとか、地域の良さをはかる指標はいくつかあって、確実に優劣がある。

だけど不思議なことに、こう言ったらなんだけど、客観的に見て劣っている地域であっても人はそこに住みつづけたりする。

こんなことを言って良いのか分からないけれど、正直、あの人たちが被災地に住み続けるのはどうしてだろう?とか思ったりしたことがあります。

生活を立て直すのが困難そうだったり、別の地域に呼んでくれる息子さんがいたりするケースがあるにも関わらず、被災した地域に住み続ける人を見て、愛着とか意地とか、もちろんそういう感情は理解した上で、不思議だなと思ってた。

でもそれは、単純に幸せだったからだ。これまでも幸せだったり、自分の意思でこの地域に住み続けると選ぶこともまた、幸せを目指してのことだった。

被災地の例は極端にしても、僕が住む、道北の士別市朝日町というところだって、客観的に見て決して優れた地域ではありません。

だけど僕は自分の意思で故郷に帰ってくることを選び、結婚して子どももできて、半ばそれ以外の道が閉ざされた今、とても幸せと満足感を持っているのです。

傍から見たら、僕だってこの土地に暮らしている意味が分からないかもしれない。

リモートワークが一般的になったときに起こり得る不幸な事態

結婚とか子どもとか以前に、例えば仕事でこの町に住まなきゃならないとか、海外転勤になった、という場合でも、僕らその地域をけっこうな確率で好きになり、気にいるものだと思う。

まさに住めば都。そこに迷う余地がなかったり、半ば強制的だったりしても、実際に受け入れたり、自分で決断したりした事柄であれば、十分以上の幸せと満足を作り出すことができる。

この感覚はきっと多くの人が抱いたことがあると思う。受けいれた瞬間に好きになる、みたいな感覚。

じゃあ翻って、以前リモートワークがもっと一般的になったときに選ばれる地域かどうかって視点が必要だよねって記事を書いたのだけど、仮にそうなったとき。

リモートワークが主流になったときに選ばれる地域が作れるかどうか|塚田和嗣|note
もし今後、リモートワークやノマドワークが今よりずっと一般的になったら。 多くの職場で「場所を選ばない働き方」ができるようにしよう、という流れになったら。つまり「どこでも生きていける人の数」が増えたら。 そのとき誰かに、一時の棲家としてでも選ばれる地域が作れるかどうか。 そんな視点を持っておくべきじゃないだろうか...

僕らは住む地域や暮らす町を選べる、というより、完全に自主的に選ばなきゃいけない、という事態になると思う。

強制感も拘束感もない。これは自由で良いかもしれないけど、一方で目移りしたり、今自分はここにいて良いのだろうか?と考えることが増える可能性もある。

もちろん、目移りしたりすればまた自由に移動できるのだから良いのかもしれないけど、もし自分の選択に確信が持てないまま彷徨う日々が続いたら、いまいち幸福を掴み切れず、満足しきれない時間を過ごしてしまうことになるかもしれない。

というようなことを考えました。

 

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