サプリメントを摂取するかのように読書をすることについて

発想と行動を記録する

読書に「効果」や「メリット」を求める気持ちは分からなくもないけれど、効果やメリットを求めて本を読むことは稀だというのが、読書を習慣としている人の正直な気持ちではないでしょうか。

以下の記事で「読書は食事と似ている」というようなことを書きました。本当に似ていると思います。

食べたものが自然に身体に蓄積するように、読んだものも自然に身体に蓄積する。
わざわざ食べたものを振り返らなくても、食べたものは身体の中に蓄積する。わざわざ読んだものを振り返らなくても、読んだものは身体の中に蓄積する。と思う。もちろん、読んだものを頭の中で反芻して知識として定着するようにするとか、読む前に予習の...

普段なにかを食べるとき、僕らは「この食材を食べてどんな効果が得られるだろう?」「これを食べることでどんなメリットがあるだろう?」といちいち考えるでしょうか。

食事は深く考えず、喜びを求め、単に空腹だから、もしくは食べる時間だから、食べなきゃ生きられないから、とられるものではないでしょうか。

もし口に入れるものの効果やメリットを考えることがあるとしたら、サプリメントを活用するときでしょうか。

本もまた食事と近い習慣の行為であり、喜びを求め、渇望に喘ぎ、読まなきゃ生きられないから、読まれるものと言った方が、個人的にはしっくりきます。

読書に効果やメリットを求める気持ちは分かるけれど、もしそれらを求めすぎたり、それらがなければ意味がないと感じるのであれば、サプリメントを摂取して食事の代替とするような、味気ない読書になってしまうのではないかというのがこの記事の主張です。

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僕らの営みに「効果、メリット、意味」を求めすぎるとかえってその営みが乏しくなる

効果やメリットを求めすぎることで「無駄な読書」という概念が生じてしまうという懸念があります。

例えば、「読んだは良いけれど難しくて頭に入らなかった小説」とか、「誰かに披露しても感心されるわけでも感謝されるでもない知識が得られる本」とかに「読む意味がない」と感じてしまうこと。

大げさに言えば、それは栄養摂取はサプリメントだけで十分なのだから、食事において味や形や色合いを楽しむ必要がない、と感じることに似ていると思います。

「効果、メリット、意味」以上の喜びが僕らの営みにはあって、それらを求めすぎるとかえってその営みが乏しくなる、ということがあるのではないでしょうか。

読書に限りませんが、効果やメリットや意味を越えて楽しむことができるのが、僕ら人間の大事なところだと思います。

とは言え、読書で得た知見や経験を活かすことは有意義だと思う

効果やメリットを求めすぎるとかえって読書の幅が狭くなったり、無意味と断じて良い出会いができなかったりすることがあるんじゃないのかなあ、という話です。

読書に効果やメリットを求めるのは邪道だ、ということを言いたいわけではありませんし、読書で得た知見や経験を活かすことは有意義だと思います。

しかしそれは結果的にそうなることに対してであって、読書で得た経験をすぐに目に見える価値に替えようとしたり、明日実感できる自己成長につなげようとすれば、きっとうまくいかない。

それはサプリメントの摂取的な読書であって、短時間での、効率の良い効果やメリットを欲するあまり本来もっと喜びのタッチポイントが多い営みの可能性を狭めてしまうことであると思います。

 

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