初心にかえってブログの書き方

person in front of laptop on brown wooden tableブログについて
Photo by Eduardo Dutra on Pexels.com

長らくブログの更新をお休みしていたのでいざ書こうと思うとやばい書けない

もともと文章を書くことを仕事にしていて、だけど仕事で文章を書くとなんか倦んでくるというか、書かなければならない文章を書けば書くほど書きたいことが増えていって、息抜き的にブログを書いているという側面もあったのだけど、このブログの更新が滞ったのとほぼ同時期くらいに文章を書く仕事をすっぱり辞めて、今は牛舎で働いていて、空いた時間に好きな文章を書くって生活

文章を書くことに関して、仕事で何か書いていたときのような不快さはない

好きなことが書けるのは素晴らしい。書く上でストレスがないことで鬱憤も煩悶もなく、それが却ってブログのような記事を書く熱量を奪ってしまった

しかし最近またブログも書きたいという気分になってきた。鬱憤とは別に、ブログもっと育てたいという気持ちがわき、ライフワークとしてのブログというものを続けたくなった

ブログの書き方は忘れた。ブログの書き方初心にかえろう

今日の記事のテーマはこれ

 

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文章の土台には問いを

ブログを再開するにあたってリハビリ的に、文章の土台とは、ということを改めて考えた

ブログ記事は、もしくはあらゆる情報は、土台に問いがある

誰かの疑問、誰かのモヤモヤ、誰かの知的欲求

そういうものが土台となっていて、文章とは、情報とは、その問いに答える作業

電車のダイヤはいつどの電車がどこへ行くのか?という問いが土台にあるし、家電製品の説明書はこの機械はどうやって使うのだろう?が土台にある

ブログ記事にたどり着くには検索窓からキーワードを打ち込むというプロセスが主流だと思うけど、このとき打ち込むキーワードというのは問いに他ならないわけで、めちゃくちゃ面白いアニメってなんだろう?とか、めっちゃ怖い映画ってなんだろう?とかって問いが、ブログ記事を作る

だからブログ記事を書きたければ、まず問いを発掘することが重要になる

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問いの飽和状態を知り、深い問いを考える

ブログオワコン説みたいなものが定期的に出てくるけれど、ブログは別に終わらない

プラットフォームと見れば稼げるか稼げないかでしかものを見ない人がいて、そういう一部の人にとってはオワコンと見えるかもしれないけれど、ブログっていうなれば電子日記だから、この形式自体は終わらないと思う

ついさっきPVの話をしたばっかりだけど、見られる数字のことを気にしないのであればブログはとても素晴らしいツールで、いくら書いてもかさばらないし、自分の考えを深めたりまとめたりするのに役立つし、書こうと思っていたものが書けたらカタルシスみたいな感情も抱ける

でもどうせ書くなら読まれたい、数字を追求したいというのもまた人間の性で、加えてある程度のPVを得られれば幾ばくかのお金にもなるのは嬉しい

だから「問い」を意識してタイトルを付けるのはまあやって損はないことだと5年くらいのブログ運営で学んだのだけど、それにしても今は「問い」が飽和している感はある

ごくごく単純な「問い」は既に億万の人が書いていて、書いてもまず読まれない(トップページに上がらない)し、他の記事と被る。よってオリジナリティがまったく出せず、読んでても書いててもつまらない

だからこれは、ニッチ戦略と言えばそれまでなんだけど、まず問いで、どんな問いに答えるかでオリジナリティを出せるように頑張らなきゃならん

問いにオリジナリティを必要としないジャンル

ちょっと今書いてて思ったんだけど、世の中には常に新しい動きというものがあって、例えば新しい製品、新しい流行、新しい興味というのは常にあるのだから、言うなれば書こうとしている対象自体に時代というオリジナリティが付随しているので、問いのオリジナリティを高める必要はなかったりする

例えば今月公開されたばかりの映画の感想なんかは、映画自体が新しいのだからオリジナリティは基本不要

でもその映画が人気作で、たくさんの人がブログ記事なり、youtube動画なりで言及していたら、同じようなものが大量にアップロードされるわけだから、やっぱり内容にオリジナリティが必要になる

じゃあ映画自体をニッチなものにしよう。ニッチなものを対象にすればオリジナリティはあまり意識しなくて良いけれど、そもそも対象を選ぶ段階でオリジナリティが必要になる

ああなんだ結局どんな場合にもオリジナリティってのは必要になるのだな、という結論になる

どこでオリジナリティを発揮するのが楽かって部分を、自己分析していくことになる

オリジナリティは必ずだれでも持っているのでとにかく書くことが大事

オリジナリティを求めようとしすぎると何を書けば良いのか分からなくなる

問いを普遍的なものにしたり定番のものにしたら切り口やタイトルの付け方(もちろん回答にあたる本文も)にオリジナリティを付与しなければならないし、問いをニッチなものにしようとしたら、そもそも対象を決める際にオリジナリティを発揮しなければならない

どっちにしてもかなり辛い。自分は平凡な人間だ

とは思うかもしれないけれど、本当の本当に誰かをかぶろうと思っても難しいもので、それは指紋や耳紋や網膜の模様が一人ひとり違うように、誰かと同じことをしようとしたってどうしたって細かいところでオリジナルな部分が出てしまう

だからまずは数を書くことが大事で、自由に書くことが大事で、何度も何度も飽きて、書き直して、それでも出てしまう自分の、話題の選び方や文章の運びがどんどん洗練されていく

で、うまいこと個性が出てきた辺りでPVもだんだん伸びてきて、ブログを書くのが楽しくなっていく、んだと思う

もちろん大前提として、誰にも読まれない記事を書く、自分との対話という意味で文章を書くという行為は絶対に肯定されるべき。

文字で情報を摂取する人は予想以上に多い

しばらく更新を止めていた気付いたんだけど、動画の時代と言われて久しいがそれでも、文字から情報を得ようとする人の数はそんなに変わらないってこと

今さらブログやっても、と思う人もいるかもしれないけれど、やっぱり本気で情報をかみ砕こうとしたら僕も文字の資料に当たる

動画で得る情報は分かりやすくとっつきやすいけど、良くも悪くも確認程度の情報摂取にしかならず、頭に残りにくく、自分の思考を混ぜこぜして何か新しい概念なり、知識なりを構築しようとすると少々頼りない

動画はそんなに万能じゃない

ブログも昔は目線を下げて、初心者に教えるつもりで、何も知らなかった頃の自分に教えるつもりで記事をかくべし!みたいなノウハウが出回ったけど今はむしろ、ちょっと情報が多くて、根詰めて読まないといかんようなものこそブログに書くのが良いと思う

深堀りした、情報量の多い知識や経験こそ、文章の良さが活きる

こんなことを考えながら、ブログ更新これから頑張ろうと思いました、というお話でした

 

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