小説を書くならアイディアを上手に捨てるスキルが必要だ

自分で考える創作論

捨てるために書く。

捨てるために書く。

小説を書くとき、アイディアは掃いて捨てるほどなくちゃならない。

もちろん小説に限らないかもしれないけれど。

料理だったら食材を無駄にしちゃいけない。いけないというかモラル的に引っかかる。食材は使い切った方が良い。

でもアイディアは無形のものであり、無限といっても過言ではなくて、いくら捨てたからといってももったいなくないし、別の命を無駄にすることもなければ、誰の迷惑になるわけでもない。

だから捨てる。どんどん捨てる。

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アイディアは捨てて良い

これを書いている僕が、とは言えアイディアを捨てるのは難しいと思ってしまう。

アイディアはすべて機能させなきゃ、せっかく思いついたアイディアだから生かさなきゃと考えてしまう。

アイディアを捨てるのは予想以上に難しい。思いついたアイディアは至宝のように思えて、使えないと薄々わかっていても手放すのは惜しい気がする。

それでも捨てて良い。アイディアは捨てて良い。必要なアイディアならまた必要なときに舞い戻ってくる。

アイディアは捨てて良い。自分に言い聞かせる。アイディアは捨てて良い。

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アイディアを捨てる場所

僕のように、アイディアをただ捨てるのはもったいないと感じる貧乏性の人は、アイディアを捨てる場所を作っておくと良いかもしれない。

メモ帳でも日記帳でも良いけれど、ブログに書いて保存しておく、youtube上に動画で保存しておくという方法の方が僕は良いと思う。検索性に優れているから。

いつでも検索できていつでも参照できるならそのアイディアは捨てたことにならないかもしれないけれど、捨てるってそういうことだと思う。

書いてあるから大丈夫、いつでも探せるから大丈夫、と思えるからこそ、そのアイディアをうっちゃって次のことを考えることができる。

一回書いて残して安心すると忘れることができるし、文字なり絵なり映像なりにして形にすると思ったより良いアイディアじゃないことに気づいたりする。

必要なアイディアは捨てても舞い戻ってくる

僕ら形にできるものばかり、完成するものばかりに目が行ってしまうけれど、捨てることを目的に創作をしても良いくらい。

捨てるといっても清掃車に回収されるわけでも燃やされてしまうわけでもない。本当の本当に消え去ったりしないからこそ気前良く捨てることに意義がある。

いつか捨てたアイディアが、5年後、7年後、10年後に舞い戻ってくることがある。呪いの人形のごとく帰ってくる。

たいてい、アップグレードされた状態で再会するから、まるで新しいアイディアに思える。

こと小説に関して言えば、構想に10年、なんて作品も珍しくないわけで。

本当に構想を10年間立て続けるのではなくて、ああ、これ、ずっと頭のどこかで考えてたんだなってわかることがある。きっとそういうことだろう。

 

 

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